誰に仕えていますか

私のからだは、神の働きのため、また神の栄光のために神に献げた義の道具です

あなたがたは知らないのですか。あなたがたが自分自身を奴隷として献げて服従すれば、その服従する相手の奴隷となるのです。つまり、罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至ります。(ローマ6:16)

パウロは、私たちが自分を誰かにゆだねれば、その人の奴隷となると言っています。例えば、不道徳に自分をゆだねるなら、不道徳の奴隷になります。自分を罪にゆだねて、罪の奴隷にならずにいることはできません。ですから、私たちは誰に何をゆだねるのかを決断しなければなりません。選択を好まない人もいますが、信仰生活の中で選択を避けることはできません。

ヨシュアは、その生涯の終わりに、イスラエルに選択を迫りました。

今、あなたがたは主を恐れ、誠実と真実をもって主に仕え、あなたがたの先祖たちが、あの大河の向こうやエジプトで仕えた神々を取り除き、主に仕えなさい。主に仕えることが不満なら、あの大河の向こうにいた、あなたがたの先祖が仕えた神々でも、今あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々でも、あなたがたが仕えようと思うものを、今日選ぶがよい。ただし、私と私の家は主に仕える。(ヨシュア24:14-15)

ヨシュアはイスラエルの民に選択するようにチャレンジしたのです。この選択は今も変わることがありません。仕えるかどうかではありません。「誰に仕えるか」です。贖われる前の私たちには選択肢はありませんでした。罪を犯さないでいることはできず、罪の奴隷となって、サタンのしもべとなる以外に選択肢はなかったのです。しかし、イエス・キリストを信じる信仰によって贖いを経験して以来、もう一つの選択肢が与えられました。私たちは、神に仕え、義の奴隷となることを選ぶことができるのです。

【祈り】

 イエスさまの十字架での勝利を感謝します。私は主に仕えることを選び、私のからだは、神の働きのため、また神の栄光のために神に献げた義の道具であると宣言します。アーメン。

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