礼拝することと安息することを選ぶ

キリストの安息に入るために、恐れる心を持とうではありませんか

詩篇95篇7節に、私たちが主を礼拝すべき二つの理由が書かれています。「まことに、主は私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊。」神を礼拝すべき第一の理由は、主は私たちの神だからです。主は、宇宙で唯一、礼拝を受けるにふさわしいお方です。私たちは他の人たちを称賛してもよいのですが、その人たちを礼拝してはいけません。礼拝は、私たちが神を神として認め、関わるための最も特徴的な方法です。

何であれ、私たちが礼拝するものは、私たちを支配するようになると私は確信しています。礼拝すればするほど、私たちはそれに似た者となり、ますます私たちを支配するようになります。もし、私たちが神を礼拝しないのなら、神を本当に自分の神としていると言えるでしょうか。

神を礼拝すべき第二の理由は、「私たちはその(神の)牧場の民」だからです。礼拝は神を自分の神として認識する方法であり、神が私たちに気を配ってくださることに対してのふさわしい応答です。この詩篇は、厳粛な警告で締めくくられています。

まことに 主は私たちの神。私たちは その牧場の民 その御手の羊。今日 もし御声を聞くなら あなたがたの心を頑なにしてはならない。メリバでのように荒野のマサでの日のように。四十年の間 わたしはその世代を退け そして言った。「彼らは心の迷った民だ。彼らはわたしの道を知らない。」そのため わたしは怒りをもって誓った。「彼らは決して わたしの安息に入れない。」(7-8、10-11節)

この箇所は、私たちの前に二つの選択肢を提示しています。真の礼拝の中へと入るか、礼拝を拒むかです。礼拝の中で私たちは神の声を聞きます。神の声を聞き、その声に従うことで、私たちは安息に入ることができます。避けて通れない結論、それは神の声を聞くことの重要性です。エレミヤ書7章23節にあるように、「ただ、次のことを彼らに命じて言った。『わたしの声に聞き従え。そうすれば、わたしはあなたがたの神となり。』」これは、神が求めておられることを簡潔に表現している言葉です。

【祈り】 

主よ、あなたの安息に入ることが約束されていることを感謝します。私は、「真の礼拝の中に入ること、あなたの声を聞いて安息に入ることを選び取ると宣言します。私はキリストの安息に入るために、恐れる心を持ちます。アーメン。

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