主の決定

イエスはご自分の義によって私たちを義とするために、罪ある者とされまし た

しかし、彼[イエス]を砕いて病を負わせることは、主のみこころであった。 (イザヤ53:10)

「みこころ」というのは、「思い、望み」という意味です。英語では、喜ばせる、 満足させるという意味の「pleased」と訳している聖書訳も多くあります。しかし、 この語のヘブル語の意味は、「主の決定、目的であった」です。例えば、イギリス で犯罪人は、裁判官から「女王陛下の喜び望むところにより」と言って判決を受け ます。女王がその犯罪者の拘留を喜ぶという意味ではなく、それが必要だと思った からです。この言い回しは、イギリスのエリザベス朝時代にまでさかのぼります。 ですから、聖書が「主のみこころであった」と言っている箇所は、父なる神が御子 を砕くことに喜びを感じた、望んだという意味ではなく、それが神の「決定、目 的」だったのです。神は、そうすると決めた、そうする必要があると判断したので す。 

ヘブル語は非常に凝縮された言語であるため、他の言語に完全かつ正確に翻訳す ることは、ほぼ不可能です。このイザヤ書53章10節の最初の二行は、ヘブル語 では四つほどの語しかありません。日本語はヘブル語から忠実に翻訳されており、 「砕いて病を負わせる」としています。病を負わせるは、ヘブル語では chalah と いう語で、ミカ書6章13節にも出てきます。神は、反抗的で頑固なイスラエルに、 「わたしも、あなたを打って痛めつけ[chalah]」と言っておられます。この「痛 めつけ」を、英語 NKJV 訳では「病にさせ」と訳しており、これが正しい文字通り の意味です。 

【祈り】

イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。私は、父なる神が イエスさまを砕いて病を負わせたこと、そしてイエスさまは、ご自分の義によって 私を義とするために、私の罪を負って罪ある者とされたことを宣言します。アーメ ン。

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