私たちには互いが必要

私はキリストのからだの器官です 

エペソ人への手紙1章22~23節で、パウロは地上の神の民の姿を描いています。その中で、「教会はキリストのからだであり」と言っています。パウロはコリント人への手紙第一の中で、「あなたがたはキリストのからだであって、一人ひとりはその部分です」(Ⅰコリント12:27)と言っています。彼はその事実を強調するために、肉体からさまざまな例を用いています。私たちはみな互いに頼り合い、互いを必要としています。

キリストのからだである教会の最も完全で権威ある姿は、エペソ人への手紙に記されています。ですから、パウロがこの手紙の中で一貫してクリスチャンを複数形で扱っていることは最も重要なことです。実際、個々のクリスチャンについては何も言っていません(エペソ1:3-12参照)。残りの部分を注意深く読むと、それがこの手紙の最初から最後までのメッセージであることがわかります。個人的な約束や祈りはありません。最後の6節だけが唯一の例外で、パウロは自分自身のために特別な祈りを求めて締めくくっています。

集合体としてのキリストのからだへの焦点は、霊的戦いについて語っている6章10~18節で最高潮に達します。12節の中の神の民を指す言葉も、敵対する勢力を指す言葉も、すべてのキーワードが複数形です。私たちは複数の支配、力、暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊と格闘しています。

このように、霊的戦いは個人間の戦いではなく、敵対勢力との大きな戦いなのです。個々の目標を追求する「一匹狼」であってはなりません。勝利のためには、一つのからだの器官としてともに働く、神の民による統制の取れた協調的な行動が求められます。そのためには、訓練と聖書の権威に従う覚悟が必要です。

【祈り】

イエスさま、私をあなたのからだの一部としてくださったことを感謝します。私は、一人ではなく、キリストのからだの残りの部分とともに自分にふさわしい位置につくことを宣言します。私はキリストのからだの器官です。アーメン。

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