イエスの十字架と一つになる

宿営の外に出てみもとに行こうではありませんか 

イエスに献身するには、イエスの十字架を自分のものとし、イエスが十字架につけられた場所に行くことが必要です。この献身では、自分や世を喜ばせることを取り除く必要があります。

兄弟たち。私に倣う者となってください。また、あなたがたと同じように私たちを手本として歩んでいる人たちに、目を留めてください。というのは、私はたびたびあなたがたに言ってきたし、今も涙ながらに言うのですが、多くの人がキリストの十字架の敵として歩んでいるからです。その人たちの最後は滅びです。彼らは欲望を神とし、恥ずべきものを栄光として、地上のことだけを考える者たちです。(ピリピ3:17-19)

パウロは、クリスチャンであると公言しているだけの人や、キリストに従っていると言いながら十字架の敵である人のことを言っています。彼らは自分を甘やかし、世のことに心を奪われています。自己と肉のものに対して死ぬという十字架の原則を人生に適用していないのです。教会の中でさえ、多くの人々がキリストへの忠誠を誓いながら、十字架を拒否しています。彼らの最後は滅びです。

イエスの十字架と一つになることによって、私たちはこの世を喜ばせることをやめるのです。ヤコブは信者だと公言する人々に、次のような厳しい言葉を書きました。「節操のない者たち。世を愛することは神に敵対することだと分からないのですか。世の友となりたいと思う者はだれでも、自分を神の敵としているのです」(ヤコブ4:4)。ヤコブはこのような人々を「節操のない人たち」と呼びました。キリストの花嫁である教会の一員となるには、霊的な献身が求められます。花嫁はひたむきで、イエスに全き献身をしなければなりません。イエスに献身しながら世を愛するなら、私たちは霊的な姦淫者です。花婿であるイエス・キリストに誠実であるとは言えません。世の友となることは、霊的な姦淫を犯すことなのです。

【祈り】

主よ、あなたが私をこの世を出るために召してくださっていることを感謝します。私は、十字架の原則である自己と肉のものに対して死ぬことを宣言します。私は宿営の外に出て行きます。アーメン。

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