イエスの追放:私たちの受け入れ

宿営の外に出てみもとに行こうではありませんか

レビ記16章は、贖罪の日、特に身代わりの山羊(スケープゴート)について記しています。この日は二匹の山羊が必要となります。一匹は罪のきよめのささげ物で、屠られます。もう一匹はアザゼル、あるいは身代わりの山羊(スケープゴート)と呼ばれ(レビ16:8)、荒野へ追いやられます。不毛の地で絶望的にさまよって喉の渇きで死ぬのです。二度と戻って来ることはありませんでした。

イエスは贖罪の日の象徴とされた身代わりの山羊でした。全能の神の前から追放されたのです。実は、イエスは両方の山羊の象徴でした。罪のきよめのささげ物として十字架で死なれました。しかしまた、身代わりの山羊として、神の前から追放され、私たちのために拒絶を耐え忍んだのです。追放の反対は、「受け入れ」です。そのことがエペソ人への手紙1章5節に書かれています。「私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしよう。」

私たちはみな、自分が受け入れられていることを理解しなければなりません。現代のアメリカ人が抱えている最も多い問題の一つは、拒絶感です。どの教会にも、拒絶感で悩んでいる人が何人かいるでしょう。ほとんどの場合、その原因は親にあります。成長過程で、自分は親から望まれているように思えず、受け入れられていると感じることができなかったかもしれません。そのような人たちは、拒絶感を抱いてきたので、みじめに思え、また他の人たちとうまくやっていくことができず、愛を示すことができません。愛を経験したことがないからです。

そのような人たちを助ける大きな鍵の一つは、彼らが神に受け入れられているという確信を持たせることです。また、イエスご自身が拒絶の痛みを知っておられることを知ることも慰めとなります。イエスが私たちの罪のために十字架で死んだとき、イエスほど完全に拒絶された人は他にはいないからです。

【祈り】

主よ、あなたが私をこの世を出るために召してくださっていることを感謝します。イエスさまは全能の神の前から追放されたことにより、私が、愛する方にあって受け入れられていることを宣言します。私は宿営の外に出て行きます。アーメン。

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