互いを正しく見る

私はキリストのからだの器官です 

世界には多種多様な人々であふれています。人の外見だけを見て、「この人にはあまり興味がない」と思うかもしれません。鏡の中の自分の顔を見ても、同じことを思うかもしれません。しかし、その内側、つまり、その兄弟姉妹は、イエスがご自分の血を流して死なれた人々であり、キリストのからだの器官であると理解する必要があります。

私たちが他の人に感謝し、尊ばないなら、主の心を悲しませることになります。主はその人たちのために死を選ばれたほどに愛しておられるからです。キリストのからだの器官に対して間違った態度を持ったり、見下したり、その価値を軽視したりするなら、主を深く悲しませることになります。

それが、パウロが二通の手紙を書いたコリントの教会の問題であったと思います。彼らの関係には多くの間違いがありました。互いを主のからだと見なしておらず(Ⅰコリント11:29参照)、パウロは「あなたがたの中に弱い者や病人が多く、死んだ者たちもかなりいるのは、そのためです」(30節)と言ったのです。このことが今日のクリスチャンたちの病気のおもな原因である可能性は十分にあると思います。とても残念なことですが、多くのクリスチャンがキリストのからだの器官として互いを見ていないのです。

【祈り】 

イエスさま、私をあなたのからだの一部としてくださったことを感謝します。私は、あなたの恵みによって、他の器官である兄弟姉妹を尊び、イエスがその人たちのために死なれた人々であると見ることを宣言します。私はキリストのからだの器官だからです。アーメン。

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