勤勉の実

努めようではありませんか

勤勉の実は、交わりを深めることによって生み出されるのではないでしょうか。私たちは自分だけで信仰生活を送ろうとしてはいけません。聖書は、私たちはみな一つのからだの器官であって、みなが互いを必要としていると言っています。(例/ローマ12:4-5。)

私はよく、ゴリアテに立ち向かうために、小川から五つの滑らか石を武器として選んで持って行ったダビデのことを考えます。それらの石はなぜ、滑らかでなければならなかったのでしょうか。もし、滑らかでなければ、正確に飛ぶ投げ石とはならずに、ダビデの命が犠牲になっていたかもしれません。それらの石が滑らかだったのは、常に水が流れていた小川に転がっていたからです。石と石がぶつかり合い、互いの鋭い角が削り落とされていたのです。

私は、主イエス・キリストが用いることができるクリスチャンを見つけようとするとき、小川に行かれるのではないかと思います。そこには、神のことばの純粋な水が彼らの上を流れ、洗い、角を取って丸くします。そこでは、互いに交わりを持ち、荒々しい角を取り除いています。交わりを深めることで、私たちは滑らかな石とされるのです。

最後に、規律に従うことをお勧めします。規律のない人の人生に実は実りません。私が考える規律は、おもに二つです。第一に、自分自身を律することです。自分の生活を管理することです。これには、朝起きる時間、食べ物や着る物について、また身だしなみなどのごく簡単なものも含まれます。実を結ぶためには、これらの細かい管理が不可欠です。それに加えて、通常すべてのクリスチャンは教会の規律に従うべきであると、私は考えます。クリスチャンは、教会に属し、教会のリーダーたちの権威の下に置かれ、規律に従うべきでしょう。

【祈り】

 主よ、あなたの安息に入ることが約束されていることを感謝します。私は、勤勉の実は、交わりと訓練によってもたらされることを宣言し、私はそのどちらも受け入れます。私は勤勉になります。アーメン。

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