献身の度合い

私はキリストの友です

創世記15章に記録されているように、神はアブラハムと契約を結びました。神も、アブラハムも、完全に自分自身を献げるという契約でした。その責任を果たすために、神はアブラハムに、息子イサクをいけにえとして献げるように求めました 。しかし、神の責任もアブラハムと同じく完全なものでした。ですから、2000年後、契約のもう片方の責任が果たされる時がやって来ました。神がひとり子、主イエス・キリストを献げたのです。

あなたの神に対する献身は、通常、神のあなたに対する責任の度合いを決定づけることを忘れないでください。神への全面的な献身は、神からの全面的な責任に値するのです。それが契約関係の本質です。しかし、アブラハムの神との契約は、神との個人的な関係にさらに実際的な結果をもたらしました。ヤコブの手紙には、アブラハムがイサクを献げた時に何をしたか、そしてそれを喜んで行なった結果について書かれています。

私たちの父アブラハムは、その子イサクを祭壇に献げたとき、行いによって義と認められたではありませんか。あなたが見ているとおり、信仰がその行いとともに働き、信仰は行いによって完成されました。「アブラハムは神を信じた 。それで、それが彼の義と認められた」という聖書のことばが実現し、彼は神の友と呼ばれたのです。 (ヤコブ2:21-23)

その固い契約の誓いによって、またイサクを献げた結果によって、アブラハムは神の友とされました。それはとても重要で光栄な称号です。ここから学べることは、契約は真の友の関係への扉であるということです。二人の人が互いに契約を交わし、その契約の中を生きるなら、真の友としての関係が働くのです。

【祈り】

イエスさま、あなたが私を贖ってくださったことを感謝します。私は、神さまに全き献身をし、神さまも私に全き責任を負ってくださっていることを宣言します。私たちの契約は、真の友としての関係への扉です。私はキリストの友です。アーメン。

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