神との知的なパートナーシップ

私はキリストの友です

最初の人であるアダムは、奴隷ではなく、神は知的なパートナーと見なしました神が生き物たちに名前が必要だと思った時、「アダム、ここに来て、これらの生き物を見なさい。あなたがいいと思う名前をつけなさい」と言われました。ヘブル語では、名前は常にその性質を示しています。ですから、生き物に名前をつけるとき、アダムはそれぞれの個体の特質と個体間の関係を理解していなければなりませんでした。アダムが呼んだ名前がその生き物の名前となりました。神が生き物に名前をつけたのではなく、アダムにつけさせたのです。しかし、神はその任務を遂行するために必要な洞察力と知恵をアダムに与えました。それと同様に、イエスキリストにある神との関係において、私たちは奴隷ではなく、むしろ神との知的なパートナーなのです。

ヨハネ15章15節に驚くべきみことばがあります。

わたしはもう、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべなら主人が何をするのか知らないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。父から聞いたことをすべて、あなたがたには知らせたからです。

イエスは、何も隠しませんでした。もし私たちが知らないことがあるとすれば、それは私たちが明らかにされていることを自分自身に適用していないからです。真の問題は、すでに知っていることを実行することにあります。イエスは父から示されたすべてのことに基づいて行動しました。もし私たちが同じようにするなら、同じように啓示が与えられるでしょう。

【祈り】

イエスさま、あなたが私を贖ってくださったことを感謝します。私は、主が明らかにしてくださっているすべてのことを適用し、すでに知っていることを実行したいと宣言します。私はキリストの友だからです。アーメン

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