祝福とのろいの現実

私たちを祝福にあずからせるために、イエスはのろわれた者となられました

私たちが祝福される資格を得て、それを受け取ることができるようにと、キリストは十字架の上でのろわれた者とされました。神が私たちのために備えてくださったものを受け取るには、祝福とのろいの性質を理解する必要があります。これらはどのようなものであるかを理解しなければ、神の備えを自分のものとすることができません。

祝福とのろいはどちらも、聖書の主要テーマです。「祝福する」あるいは「祝福」という言葉は、聖書の中で410回以上登場し、「のろい」という言葉は160回近く登場します。つまり、聖書はその両方について、非常に多くのことを語っているのです。どちらも疑いの余地なく実在するものです。私たちがのろいから贖われて祝福を受けるようにと、イエスがのろわれた者とならなければならなかったほどの現実的なことです。

一部の人々は、祝福は実在しても、のろいは想像上のもの、架空のものと考えています。それは非論理的な考えです。相反するものを考えてみるとき、一方が実在するなら、もう一方も実在しなければならないことは当然です。昼と夜を例に挙げましょう。昼が実在するなら、夜も実在します。暑さと寒さについても、暑さが現実なら、寒さも現実です。善悪についても、善が実在するなら、悪も実在します。一方を受け入れてもう一方を無視することはできません。それは祝福とのろいについても同じです。祝福が実在するなら、のろいもまた実在するのです。

聖書は祝福とのろいの性質、それらがどのように作用するか、自分の人生に働くのろいを知る方法、そして解放される方法について多くのことを教えています。もし、私たちが無知のままでいるなら、私たち自身がその代償を払うことになります。のろいを祝福に変えてくださった神の交換を理解できないなら、十字架でのイエスの犠牲的な死を通して私たちに与えられた完全な備えの多くを逃してしまうでしょう。

【祈り】

イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。私は、祝福が現実のものであり、またのろいも現実にあることを、信じて宣言します。私を祝福にあずからせるために、イエスさまは、のろわれた者となってくださいました。アーメン。

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