わたしの父が約束されたもの

私たちを祝福にあずからせるために、イエスはのろわれた者となられました

信者が聖霊の賜物を受け取るのは、行いや功績に基づくのではありません。ただ、キリストの贖いの完全な満たしによるものです。それは、「私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるため」とあるように、行いによるのではなく、信仰によるものです。

この考えは、イエスが天に戻られる直前の弟子たちへの最後の命令と一致しています。

「見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)。

イエスは、弟子たちがペンテコステの日に受ける聖霊のバプテスマについて語っておられるのです。「わたしの父が約束されたもの」という言葉は、聖霊の賜物についての父なる神の思いと目的を知るためのヒントを与えてくれています。ある人は、聖書には神を信じる人々に与えられた神の約束が少なくとも7,000あると言いました。しかし、イエスは、その中から他のものとは違う一つの約束、御霊の約束のことを語られました。

パウロはこれを「アブラハムへの祝福」(ガラテヤ3:14)と呼び、神がご自身のためにアブラハムを選んだ神の至高の目的と結びつけています。神は、最初にアブラハムをウルの地から召した時、「わたしはあなたを祝福し・・・あなたは祝福となり・・・地のすべての部族はあなたによって祝福される」(創世記12:2-3)と言いました。その後も、神は何度もアブラハムに対してその目的を確認しておられます。「確かにわたしは、あなたを大いに祝福し・・・あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる」(創世記22:17-18)。神のこれらの約束はすべて、「約束の御霊」(ガラテヤ3:14)というパウロの言葉へと導くものでした。イエスは、アブラハムの子孫への約束であるこの祝福を買い取るために、十字架の上で血を流されたのです。

【祈り】 

イエスさま、あなたの十字架のみわざを感謝します。イエスさまが十字架の上で血を流し、「わたしの父が約束されたもの」と呼ばれるアブラハムへの祝福を勝ち取ってくだったので、私は約束の御霊の祝福を受けていると宣言します。私を祝福にあずからせるために、イエスさまは、のろわれた者となってくださいました。アーメン。

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