神に献げる

私のからだは、神の働きのため、また神の栄光のために神に献げた義の道具です

パウロはこう言っています。

「あなたがたの死ぬべきからだを罪に支配させて、からだの欲望に従ってはいけません。また、あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい」(ローマ6:12-13)。

私たちは解放されました。私たちの手足も、舌も、罪にコントロールされてはなりません。そうではなく、私たち自身を神に献げ、私たちの手足を義の道具として神に献げなさい、とパウロは言っています。献げるものが二つあります。

まず、「私の思いではなく、あなたのみこころがなりますように」と言って、神に私たちの思いをゆだね(献げ)ます。主の祈りの中の二つ目の祈りは、みこころが天で行われるように、地でも行われますように」(マタイ6:10)です。私たちが「あなたのみこころがなりますように」と祈る時、それは祈っている本人の思い、つまり神のみこころが行われることを望んでいる人の思いで始まっているのです。

自分の思いをゆだねたら、次に私たちのからだを義の道具として神に献げます。「道具」という語のギリシャ語の文字通りの意味は「武器」で、霊的な戦いを示唆しています。これは鋤や鍬のような単なる道具ではなく、剣のような戦いの道具のことです。まず自分の思いを神にゆだねるという点で、聖霊のバプテスマは重要なカギとなります。自分で制御することのできない器官の一つである舌を神にゆだねるからです。聖霊のバプテスマを受ける時、私たちは実際に義の道具(武器)として神に自分の器官をゆだねなさいという指示に従うことができるのです。舌が神にゆだねられ、聖霊に支配されると、まさに祈りにおいて、証しにおいて、そして福音を語る時に武器となります。

【祈り】 

イエスさまの十字架での勝利を感謝します。私は自分自身と私の思いを神に献げます。私のからだは、神の働きのため、また神の栄光のために神に献げた義の道具であると宣言します。アーメン。

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