私のからだは主のためにある

私のからだは、神の働きのため、また神の栄光のために神に献げた義の道具です

死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。(ローマ6:13)                              

私たちは自分の手足を神に献げて、「神さま、どうか用いてください」と言いましょう。また、私たちはその「宮」を聖く保つ必要があります。パウロは、

「からだは淫らな行いのためではなく、主のためにあり、主はからだのためにおられるのです」(Ⅰコリント6:13)

と言いました。淫らな行いとは、未婚の性的関係のことです。神はこの罪に対する見解を変えてはいません。からだは淫らな行いのためにあるのではなく、主のためにあるのです。また、「主はからだのためにおられ」ます。なんと素晴らしいことでしょうか。私たちが自分のからだを主に献げるなら、主が私たちのからだのためにいてくださるのです。

パウロは、人々の生活に密接に関連したことを率直に語る人でした。パウロは続けてこう書いています。

「淫らな行いを避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、淫らなことを行う者は、自分のからだに対して罪を犯すのです」(18節)。

この箇所をHIVや淋病、梅毒などの性感染症に対する警告と解釈している人も多くいます。確かに、それらは性的不道徳の結果かもしれませんが、パウロの教えはそれ以上のことを意味しています。私たちがするすべての不道徳な行いは、健康を害することになります。クリスチャンが癒やしを求めても癒やされない場合、その根本的な原因は不道徳であることが多いのです。ほとんどの場合において、私たちは癒やしを受け取る前に、その根本的な原因を見つけ出し、悔い改め、正すことを、神は求めておられます。

【祈り】

 イエスさまの十字架での勝利を感謝します。私は自分のからだを神に献げ、私のからだは、神の働きのため、また神の栄光のために神に献げた義の道具であると宣言します。アーメン。

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