イエスの辱めを負う

宿営の外に出てみもとに行こうではありませんか

へブル人への手紙の「~しようではありませんか」の11個目は、13章にあります。

それでイエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。ですから私たちは、イエスの辱めを身に負い、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく、むしろ来たるべき都を求めているのです。(ヘブル13:12-14)

この箇所は、今ある世と、私たちの態度と関係についてです。私たちの住む場所は、この世にないと教えています。この世には永続的な場所はありません。世はイエスを拒絶しました。都から追い出し、門の外で十字架につけました。

聖書は、イエスの十字架刑が城壁の外で行われたことを常に強調しています。イエスは拒絶されたのです。社会から排除され、世は彼を望んでいませんでした。そして世がイエスを扱った方法は、いずれ世が私たちクリスチャンを扱う方法になるでしょう。私たちは、十字架につけられ、拒絶され、あざけられたイエスの辱めを負って、イエスのもとに出て行かなければなりません。へブル人への手紙の別の箇所では、キリストの辱めは、エジプトの宝にまさる富だと言っています(ヘブル11:26)。イエスの辱めは私たちの栄光となるのです。

そして、著者はその美しい理由を述べました。「私たちは、いつまでも続く都をこの地上に持っているのではなく。」未信者は、この世は永遠に続くと考えているかもしれません。しかし、私たちはそうではないことを知っています。「むしろ来たるべき都を求めているのです。」私は、この「都」という翻訳が大好きです。「都」は、すべての真のクリスチャンの目的地であり、住まいとなる場所です。そこが、私たちの真の国籍、属している場所なのです。

【祈り】

主よ、あなたが私をこの世を出るために召してくださっていることを感謝します。私は、イエスさまの辱めを身に負って、「城壁の外」のイエスさまのもとに進み行きます。私は宿営の外に出て行きます。アーメン。

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