呪いからの解放 - 前編

デレク・プリンス
Published: 1990
Last Updated: 2026年7月
Read Time: 42
「呪いからの解放 - パート1」では、デレク・プリンスが十字架上でのキリストの犠牲の深遠な真理を探求します。イエスが復活を通して、どのように私たちを律法の呪いから贖い、私たちの鎖を断ち切り、自由にしてくださったかを理解しましょう。この自由の中を歩むことの変革の力を発見し、信仰を通して聖霊の約束を確信しましょう。
Transcript
これからお話しする「呪いからの解放」というテーマは 2 部に分かれており、ここ5 年の間に神が私に教えてくださった多くの真理を含んでいます。それは、私自身の人生、また私が関わってきた数多くの人々の人生に変革をもたらした真理です。私が奉仕してきたいくつかの地域で、メッセージの最後にその真理を通して神が与えてくださるものを用いたいですかと人々に質問すると、約 95%の人が用いたいと応答し、また人々が劇的に変えられるのを見てきまたのです。
今から数年前、中央アフリカのザンビアで語っていた時のことです。私がこの「呪いからの解放」というテーマで教え終わったとき、最後に身なりも立派な教養のある一人のアフリカ人男性が私のところにやって来て、私の足元に身をかがめました。もし、私が止めなければ、私の足にキスをするところでした。おそらく 40 歳ぐらいのその男性は立ち上がって言いました。「私は生まれてからずっと苦しみ、みじめでした。一日たりとも幸せな日はありませんでした。でも、あなたが言うように祈って以来、私の内ですべてが変わりました。私は苦しみから解放され、別人になったのです。」
そう、これが力あるメッセージです。そのメッセージの土台となっているガラテヤ 3:13-14 を開いてみましょう。
「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法の呪いから贖い出してくださいました。なぜなら、『木にかけられる者はすべてのろわれたものである』と書いてあるからです。このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」
この聖句は、イエスが十字架にかけられたときに行われた交換を啓示しています。旧約聖書の申命記に、木にかけられる者はのろわれた者であるとあります。ですから、イエスが十字架という木にかけられたとき、イエスは呪いとなられたのです。そこでなされたことは、この聖書箇所で明確に書かれている神が定められた交換でした。
私たちが呪いから贖われ、神がご自分の民のために用意しておられる祝福の中へ入るために、イエスはすべての呪いをその身に受けられました。それは非常に単純で具体的な交換です。イエスは私たちが祝福を受けるようにと、呪いとなられたのです。
今からみなさんに、呪いの性質と祝福の性質を説明します。これらは聖書の 2 つの主要なテーマです。聖書には、祝福という単語は、様々な言い方で 600 回出てきます。そして、呪いという単語は、おそらくその半分くらい出てきます。しかし、私が経験から学んだことは、ほとんどの神の民、つまりクリスチャンは、呪いと祝福の性質をあまりよく知らないということです。神の目的は、私たちがキリストの贖いを通して呪いから解放され、祝福を楽しむことであると私は信じます。しかし、私は祝福を楽しむ べきであるときに、呪いに耐えている神の民が世界中にいることに気づきました。その第一の理由は、何が呪いで、何が祝福であるかを識別する方法を知らないからです。
2 つ目の理由は、彼らがそれを認識していても、どのように呪いから解放され、祝福の中へ入るかを知らないからかもしれません。ですから、祝福と呪いの簡単な定義をみなさんに提供することから始めましょう。祝福と呪いはどちらも超自然的な力です。私たちが人知の範囲のものを取り扱っているのではないことを理解することが重要です。それが祝福であるなら、良いもののための超自然的な力、またそれが呪いであるなら、悪のための超自然的な力です。そして、それらの特徴の一つは、かなりの確率で世代から世代へと継続することです。それが呪いであるなら、誰かがその断ち切り方を知るまで続く場合が多いのです。その結果、多くの人々が何世代も前に起こったであろうことの影響を自分の人生で耐えているのです。あなたは、その問題の原因を突き止め、解放されるために適切な処置をしなければなりません。
さて、祝福と呪いの手段は、通常、言葉によるものです。語られた言葉、書かれた言葉、あるいは単に心の中で語られた言葉であるかもしれません。しかし、呪いも祝福も、物や人という手段を通して伝わることがありえます。ですから、それは単に言葉の問題であるとは限りません。一つの単純な例を挙げましょう。クリスチャンとして行う聖餐式において、パウロは、「私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血にあずかることではありませんか。」と言っています。ぶどうジュースの入った杯を通して、神は祝福を私たちに移してくださいました。
旧約聖書には、物によって伝えられた呪いの様々な例があります。特にモーセの律法の下では、妻が自分の夫に不貞を働いたと訴えられたときは、特定のテストがありました。祭司がその妻を幕屋に連れて行きます。祭司は呪いの言葉を書いた紙を水の入った杯に浸し、その呪いの言葉を書いたインクを洗い流しました。その妻はその水を飲み、自分の呪いを宣言します。彼女が無実であれば何も起こりません。その夫は二度と妻を訴える自由はありません。しかし、その妻が有罪であるなら、彼女の体には悲惨な身体的影響が起こるのです。これは、呪いが何かの媒体を通して移される一例を挙げました。この場合は、コップ一杯の水です。
今、私はこの真実を個人的な経験を通じて知りました。私は抽象的な理論について説教することはほとんどありません。私が教えたほとんどすべてのことは、私の人生で起こった出来事に何らかの形で関連しています。特にこのメッセージについてはそうです。私は、私を徐々に目覚めさせた三つの個人的な出来事をお話ししたいと思います。私は一瞬でこのことを理解したわけではなく、真実が徐々に明らかになるプロセスでした。そして、神は私の教育を監督し、私が特定の経験をし、これらのことに目を開かせるような特定のケースに対処することを許可してくださったと思います。
1960 年代の終わり、私が最初の妻とフロリダに住んでいたとき、私は母方の祖父から様々な中国の芸術文化作品を相続しました。イギリス軍の士官であった祖父は、イギリス政府が義和団の乱を鎮圧するために 1904 年に中国に派遣した遠征軍の指揮官でした。そして、祖父は中国で手に入れた様々な品を持って帰国しました。やがて私の母を通して、それらのいくつかが私への形見として手渡されました。
その形見の中に、4 匹の刺繍された見事な竜のタペストリーがあり、一匹ずつ別の素材でできていました。実に美しい色でした。中国文化を少しかじっている人によると、その竜には 5 つの爪があるので、皇帝龍だということでした。普通の竜は爪が4つですが、皇帝龍には 5 つあるのです。私はおじいちゃん子だったので、そのタペストリーは私にとって大きな意味を持っていました。私たちはフロリダの家に住み始め、リビングルームにその 4 匹の竜のタペストリーを飾りました。しかし、しばらくすると、聖霊が私を悩ませ始めました。あなたは聖霊に悩まされたことがありますか。そのようなとき、私たちが最初にすることは何でしょうか。それを無視し、「そんな馬鹿な、聖霊がそんなことするはずがない」と言います。しかし、とにかく、聖霊が私に言うのです。「聖書では竜は何を意味しているか?」私はそれを答えるには十分なほど聖書知識がありました。竜は黙示録 12:9 などで非常にはっきりとサタンを意味しています。そして聖霊は私に言いました。「サタンを宣伝するようなものをリビングルームの壁に掛けておくのは、キリストのしもべとしてふさわしいことなのか?」私はしばらくそれについて悩み、言いました。「神さま、あなたの言う通りです。私は竜を取り除きます。」そして、そのタペストリーを外しました。
私はそのことを、神に従うという以外の動機では行いませんでした。しかし結果は、かなり大きなものでした。その時まで、私は経済的にギリギリの状態の生活でした。私は巡回して説教をし、謝礼をもらっていました。その謝礼は私たちの必要はカバーできましたが、残ることはありませんでした。また家族にも、ある奇妙なことが起こっていました。私は妻とうまくコミュニケーションが取れずにいました。また、私は両親から相当な金額の遺産を相続する権利がありましたが、他の人々による様々な無責任な行為のゆえに、相続は長々と停滞しました。さて、私はその竜を取り除いただけでしたが、私の繁栄の全レベルが変えられたことに気づき始めました。私は以前と全く同じ生活を続けていたにもかかわらず、次の年には収入が倍になったのです。
そして、相続の問題が解決し、私は遺産を受け取りました。妻と私は私たちにとって信仰の大きなステップであった家を購入することができましたが、その家を購入するように神に明確に導かれたと私たちは感じました。
私は今、ただ繁栄について語っているのではなく、それは慎重に条件付けされなければならないと思います。しかし、目的を伴った繁栄です。私たちは導かれた家に引っ越して 9 年間住み、その家は買った金額の 3 倍の値段で売れました。そのお金で現在の妻と私は、エルサレムに非常に高額な家を建てることができました。神は家を売却することで経済を備えてくださいました。それは私たちが計画したことではありませんでした。意識せずに持ち込んだその竜を通して、暗闇の悪の力が私の家に侵入していたことに気づきました。そして、その力が吐き出され、取り扱われるまで、私の人生とミニストリーのための神のご計画を十分に遂行することはできなかったのです。
興味深いことは、神が私を守っておられることすら私は知らなかったということです。私は、これが多くの人々の人生において当てはまることを見てきました。人々は呪いに対処するとき、呪いから解放されるとはどういうものかを知りません。それを思い描くことができないのです。
その後、しばらくして、私はアメリカ中西部の長老派教会でメッセージの奉仕をしていました。私はメッセージを終えて講壇の後ろに立っていました。私は次に何をするかまだ決めておらず、左の方に座っている両親と10代の娘が見えました。彼らを見たとき、呪いがその家族の上にあると聖霊が語っていると感じました。私はそれまで呪いについて説教したこともなく、考えたこともなく、どうしてよいのかもまったくわかりませんでした。ですから、ただ待ちのぞんでいると、もう一度、非常にはっきりと、 「呪いがその家族の上にある」と語られました。そこで、私はその父親に近寄って、こう言いました。「ご主人、私は呪いがあなたの家族の上にあると神が示しているように思うのです。イエスの御名によってその呪いを解放する祈りをしてもいいですか。」私には解放のミニストリーの経験がまったくなく、ただ信仰によって踏み出しました。父親は即座に「はい」と答えました。あまりにも多くの災難が彼の人生と家族の人生に起こり、彼は呪いを受け入れていたことを後に本人から聞きました。そして、私はその家族を呪いから解放する短いシンプルな祈りを大声で祈りました。私が「イエスの御名によって」と言ったとき、私は誰にも触れていないにもかかわらず、家族の一人一人に目に見える身体的な反応がありました。それで、私が一歩下がったとき、その 10 代の娘が片方の太ももの付け根からかかとまでギプスをしているのに気付きました。そこで私は言いました。「あなたの娘さんの足の癒しのために祈ってもいいですか。」彼は即座に「はい」と答えましたが、こう言いました。「娘は 18 か月の間に 3 回も同じ足を骨折し、医者は治らないと言っています。」もし、今の私が、誰かが 18 か月の間に 3 回も同じ足を骨折していると聞いたら、呪いが作用していることを疑わないでしょうが、当時それは私にとって新しいことでした。私は言いました。「私にできることはただ、私がその足を持ち、単純な祈りをすることだけです。」そして、私はそのようにしました。
数週間後、私はその男性から感謝の手紙を受け取り、特に彼らが娘と医者に行ってレントゲンを撮ってみると、癒されていたと書いていました。そして、ギプスもすぐに外されたのです。
それについてよく考えていると、このようなことに気づきました。あの家族に呪いがあると神が示してくださり、またその呪いが娘の足の癒しの障壁となっていたと、その障壁が取り除かれるまで、彼女の足の癒しの祈りは、効果がなかったことです。そしてこのことは、家族や個人の上にある呪いが、その人のために神が意図されている祝福から遠ざける、目に見えない妨げの壁となりうるということです。これは、私がこれまで何百回も見てきたことの原則です。竜による私のケースは、経済的繁栄の祝福と神のみこころの解放でした。この少女のケースでは、骨折した彼女の足の癒やしでしたが、呪いが壁となっていました。
その後、私はこのことについて教え始め、『呪い:原因と解放』という 3 つのメッセージ・シリーズを収めたテープも作りました。そして、これらが広まり始めると、単に個々人だけではなく、全会衆に起こっている素晴らしい証しも耳にするようになりました。その三本セットのテープの一つは、南アフリカにも届いていました。そして少し後に、妻と私が南アフリカのケープタウンで奉仕していたとき、主イエスをメシヤ、救い主であると受け入れたユダヤ人女性に出会いました。仮にミリアムと呼びましょう。ミリアムは私たちに直接このような話をしました。ミリアムは非常に有能な社長秘書で、かなりの高給を得ていました。しばらくして、ミリアムは、社長と会社の管理職全員が、ある女性教祖の奇妙なカルトに入っているとわかりました。ある日、社長がミリアムに、その女性教祖が管理職たちに言った祝福の言葉をタイプ入力するように頼みました。ミリアムがそれを入力し始めたとき、それらの言葉はクリスチャンが考える祝福とはかけ離れていると気づいたので、社長のところへ行って言いました。「すみません、私はこれらの祝福の言葉を入力するのを遠慮したいのですが。」社長は寛大な方で、こう言いました。「すまなかった。これがあなたの良心に反するものだとわかっていたら、その仕事を頼まなかったのに。」それが最後でした。
さて、私たちは推論によって話の埋め合わせをしなければなりません。しかし、その女性教祖は自分の祝福をミリアムがタイプ入力しなかったことを聞いたことは確かでしょう。その教祖はどうしたでしょうか。おそらく、祈ったか、呪いを口にしたでしょう。どちらであるかはあまり重要ではありません。しかし、数週間以内に、ミリアムの指はあっという間にひどく痛み出し、固く丸まったままになり、曲げることができなくなりました。ミリアムは、あなたにはその痛みはわからないでしょうと言いました。夫が寝返りを打つたびにベッドが揺れるその振動による指の痛みに耐ばなりませんでした。専門医に行ってレントゲンを撮ると、慢性関節リウマチであると言われました。ある意味、彼女は障がい者となってしまいました。
別のカリスマ派の女性が私のその 3 つのテープシリーズを受け取り、ミリアムがそれを聞くべきだと感じました。ミリアムはどちらかというと洗練された女性であったので、あまり乗り気ではなく、彼女の目には、呪いとは何か遠い中世の時代のように映っていたと私は思います。とにかく、その女性が説得したので、彼女たちは座ってその 3 つのテープを聞きまし人生の上にある呪いから人々を解放する祈りを導いています。その祈りが始まったとたん、テープが動かなくなりました、前にも後ろにもテープは回らず、カセットテープを取り出すこともできませんでした。それはまったく不自然です。そこでミリアムが言いました。「じゃあ、私は祈ることはできないですね。」その根気強い女性は言いました。「あらまあ、私はその祈ますね。」彼女はその祈りを読むためにミリアムを説得しました。その祈りは 3 分で読めます。そこで、ミリアムはただ義務的にその祈りを読みましたが、読み始めから終わりまでの間に彼女の指は完全に解放されました。関節炎の後はまったくありませんでした。彼女は医者に行き、医者は医学的に癒されたと太鼓判を押しました。
私が強調したいのは、これです。彼女は癒しのために祈りませんでした。それは彼女の思いの中にありませんでした。彼女はただ呪いから解放されたのです。しかし、呪いが打ち砕かれてわかったことは、病気の原因は他にはなかったことです。それは、もう一つの目に見えない障壁の例です。
さて、祝福と呪いがどのようなものかを聖書から引き出したいと思います。祝福と呪いだけを扱っている一章が旧約聖書にあります。ご存知の方はいますか。そう、申命記 28 章です。それは、祝福が 14 節あり、呪いは 55 節あります。時間がないので読みませんが、もしあなたが何か気になることがあるなら、時間を取って注意深くその章を学んでください。私もそれを何度も読んで学び、みなさんにその要約を分かち合いたいと思います。しかし、私の言っていることが正確かどうかは、あなた自身で判断してください。
これが、主な祝福と主な呪いの私の要約です。祝福と呪いは正反対のものです。ここに 7 つの祝福があります。1 つ目、賞賛で、それは、引き上げられるという意味です。あなたはもはや何かの下に生きて いません。2つ目、多産。その人の人生のあらゆる領域で神の祝福が実り豊かにあります。3 つ目、健康。 4 つ目、繁栄、または成功。5 つ目、勝利。6 つ目、モーセは、あなたは尾でなく、かしらとなると言いました。そして 7 つ目、あなたは上におり、下へは引き下ろされない、です。
数年前、私がそれについて学んでいたとき、私は主に「かしら」と「尾」の違いは何ですか、と聞きました。私は、主が単純な答えをくれたと感じました。かしらは決断を下し、尾はただ引きずり回されるだけです。あなたはどちらの道を歩んでいますか。あなたは決断を下していますか。あなたは状況を管理していますか。それとも、あなたが理解していない、またあなたが制御できない状況と力によって、ただ尾のように引きずり回されているだけですか。もし、あなたが尾なら、あなたが呪いの下にある可能性は非常に高いです。
私はそれらの祝福のどれ一つとして、この原因によるものであると言っているのではありませんが、あなたが見分けるためです。この分野にたった一人の専門家がおり、その人の名は、デレク・プリンスではありません。聖霊です。聖霊は個人的にあなたに示さなければならないお方です。私は一般的な真理をメッセージすることはできますが、あなたは聖霊から特定の適用法を得なければなりません。
では、呪いについて見ていきます。呪いは、祝福とは正反対です。一つ目、屈辱、2 つ目、不作、あるいは不妊です。基本的に、不妊は、ほとんどと言っていいほど、呪いと何らかのつながりがあると言えます。3 つ目、あらゆる種類の病です。そして、申命記 28 章を読むと、そのリストに入っていない病はありません。4 つ目、貧困と欠乏。5 つ目、征服。6 つ目、あなたは尾であってかしらではない。そして 7 つ目、あなたは下であって上ではない。こんな話があります。2 人のクリスチャンが出会いました。一 人が、「やあ、兄弟、調子はどう?」と言うと、もう一人は、「まあ、この状況下では悪くないよ」と答えました。すると、最初のクリスチャンはこう言いました。「君は状況の下にいるのかい?」あなたは状況の下ではなく、上にいるべきです。
このリストとは別に、私は何年もかけて、呪いの下にいると思われる兆候をいくつかリストアップしてきました。そして私は、申命記 28 章とは別にそのリストを作りましたが、それは実に驚くほど似通っています。私が作ったリストには、偶然 7 つの項目がありました。はっきりさせておきたいことですが、あなたがその一つだけに当てはまる場合は、呪いの下にあることが確かだとは言えません。あなたはその可能性を調べて、神を求める必要があります。しかし、もし複数の項目に当てはまるなら、呪いの下にある可能性はさらに高くなるでしょう。
これが私の小リストです。1、精神的、感情的な崩壊。人々は、私はもうボロボロだと言います。感情的か精神的、あるいは両方の場合もあります。2、繰り返す病気、慢性的な病気。特にそれが遺伝性のものであるなら、呪いは世代から世代へと引き継がれるからです。また、医者が通常の原因を見つけられない場合もあります。3、婦人疾患と呼ばれるもの。不妊、流産の傾向、月経に関する問題。妻と私はそのような問題を多く取り扱ってきたので、その種の祈りを求めてきた場合、それが呪いだと捉えて対処しています。事実、呪いから解放される方法を教えないまま、病人へのミニストリーをすることは、時間の無駄だと感じることがよくありました。
以前、私は婦人科の問題を持った人々に一列に並んでもらった時、その列の中に一人の男性がいました。彼の順番が来たとき、私は「あなたの問題は何ですか。どうしてあなたが婦人科の問題を抱えているのですか」と聞きました。彼は、「私の問題はうつ病です。それは婦人特有のものなので、私は女性なのです」と答えたのです。私はそれを受け入れませんでした。
4、結婚の崩壊と家庭不和です。家族がバラバラな場合、離婚している場合、子どもが両親や他の兄弟から引き離されている場合は、呪いが作用している可能性が非常に高いです。5、経済的な欠乏。これは注意深く言いたいと思います。短期間の貧困は、私たちへの神の試練であるかもしれません。しかし、あなたが常に金欠状態で、常に不足していて、決して十分でないなら、常に爪に火を点すような生活であるなら、呪いの下にある可能性が高いと私は思います。そして 6、事故に遭いやすいことです。つまり、いつも事故に遭う人です。保険会社はあなたを調べ、あなたが事故を起こしやすいと分類するなら、あなたの保険料を高くするでしょう。つまり、歩道の段差を踏み外して足首をいつも骨折する、またあなたの奥さんがいつも車のドアを乱暴に閉めるとき、あなたが指を挟むなどは自然ではありません。あるいは、あなたの目にいつも小さな虫が飛び込むとか。つまり、それが常に続いているようだったら、不自然だということです。
そして 7 つ目に、家族に自殺または変死の歴史があることです。それらが頻繁に家族の中にあるなら、です。
これらざっと復習しましょう。精神的、感情的崩壊、繰り返す、あるいは慢性的病、特に遺伝的な場合、婦人科疾患、離婚、家族疎遠、経済的欠乏、事故傾向、そして自殺や変死の歴史の家系。
さて、このリストがすべてをカバーするわけではありません。このリストにない呪いの結果であり得る多くのものがあるので、おおまかなものを分かち合います。そしてこれは、私が様々な人々を取り扱ってきた結果としてたどり着いたものです。呪いとは、過去から伸びる長い悪の手と言えるでしょう。そして、それがどれほどの過去のものであるかをあなたは知りません。その悪の手が伸ばされ、あなたがまさに成功しようとする度に、あるいは、望んでいたものに到達しようとする度に、その悪の手があなたをつまずかせ、再び立ち上がってやり直さなければならなくなるのです。あなたが成功しようとすると、再度つまずきます。そしてそのことが実にあなたのライフストーリーになってしまうのです。私は非常に多くの人からそのような話を聞いてきたことでしょう。そして彼らが、「同じことが私の父に、あるいは祖父に起こりました。つまり、私の家族に代々起こるようです」と言うのを何度も聞いてきました。
あるいは、人生の上にある過去からの暗い影があなたの人生を覆い、神の祝福の光をさえぎっているというイメージです。あなたは他の人々が太陽の光の中を歩いているのを見て、確かに太陽はそこにあり、現実のものだと分かるのですが、どういうわけか自分には太陽はほとんど降り注いでいないように感じるのです。ですから、リストの中に当てはまるものがあるなら、このメッセージを聞いていく中で、聖霊があなたの特定の必要や状況、問題を示してくださるように神に求める必要があります。箴言の作者は、箴言 26:2 で非常に重要なことを言っています。
箴言の作者は、箴言 26:2 で非常に重要なことを言っています。
「逃げる雀のように、飛び去るつばめのように、いわれのない呪いはやって来ない。」
つまり、呪いがあるなら、必ず原因があるのです。それを引き起こしているものがあります。私の経験では、呪いに対処する前にその原因を見つけることが役に立つことが非常に多く、時には不可欠となります。今から、聖書に書かれている呪いの原因について少し時間をとって説明します。かなり長い話になるので、次のセッションにも続きます。
では、祝福と呪いの主な原因を見るために、申命記 28 章を開きましょう。幸いにも、それらは非常にシンプルです。申命記 28 章の最初の 2 節でこう言っています。
「もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。」
ヘブル語では、この箇所は、「聞いて、聞く」という使い方をしています。「もしあなたが、あなたの神、主の声を聞いて、聞いて、その言われることを行うなら」です。つまり、とても簡単に言えば、すべての祝福の主な要因は、「神の声を聞いて、それを行う」ことです。日本語訳はヘブル語に近い翻訳で、「聞き従い、守り行うなら」となっています。
そして、すべての呪いの主な要因は正反対です。同じ章の 15 節です。
「もし、あなたが、あなたの神、主の御声に聞き従わず、私が、きょう、命じる主のすべての命令とおきてとを守り行わないなら、次のすべての呪いがあなたに臨み、あなたはのろわれる。」
では、呪いの原因は何でしょうか。神の声を聞かない、神が言うことを行わないことです。基本的に 2 つの根本的原因があります。祝福の要因は、神の声を聞くこと、神の言うことを行うこと。呪いの原因は、神の声を聞かないこと、神の言うことを行わないことです。もしこの 2 回のシリーズのメッセージで、もしあなたが呪いから解放されたなら、祝福の中にとどまるためには、この条件を満たさなければなりません。神の声を聞いて、神の言うことを行わなければなりません。もし、聞かない、行わないなら、再び呪いのもとに来るのです。
また、聖書には、呪いの原因となる様々な具体的な原因が書かれています。一般的なものはすでに取り扱いましたので、次に具体的なものをいくつか取り扱います。呪いの原因の一つ目は、意外に思われるかもしれませんが、神ご自身です。聖書には、神ご自身が宣告した呪いがたくさんあります。不従順な人々や国々に対する神の裁きの最も一般的なものの一つが、その人々に呪いを宣告することだったのでしょう。そして、その呪いが起こるとき、それは神のさばきが行われたということです。理解できますか。神は祝福と呪いを両方されるのです。
ですから、私たちはまず、神ご自身から来る呪いを取り扱います。その最大の原因が出エジプト記 20: 3-5 に書かれています。これは、十戒の最初の部分です。それを読む前に、人々の人生における最大で最も一般的な呪いの原因は、最初の 2 つの戒めを破ることであると言っておきます。事実、呪いを受けることなく、これらの戒めを破ることはできないと、私は考えています。では読みましょう。
「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」
しかし、ヘブル語の意味は、「私が主である。私のほかに神々はない」です。ですから、あなたは、真の神以外にほかの神々を認めてはいけないのです。
そして、2 つ目の戒めは、偶像礼拝と呼ぶものです。
「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし...」
これは呪いの特徴で、少なくとも三世代、あるいは四世代に続きます。地球上の何十億もの人々を考えてみてください。そのすべての祖先は、何世紀にもわたって偶像礼拝をしてきました。その積み上げられた呪いについて考えてみてください。東南アジアでは、人口の 95%がその呪いの下にあるので、そこで宣教する場合、呪いというテーマを取り扱わなければ、ほとんど意味はないと私は思います。彼らが邪悪な人々だと言っているのではありません。彼らは素晴らしい人たちだと思います。しかし、過去からの何かがあるのです。
これは呪いの特徴で、少なくとも三世代、あるいは四世代に続きます。地球上の何十億もの人々を考えてみてください。そのすべての祖先は、何世紀にもわたって偶像礼拝をしてきました。その積み上げられた呪いについて考えてみてください。東南アジアでは、人口の 95%がその呪いの下にあるので、そこで宣教する場合、呪いというテーマを取り扱わなければ、ほとんど意味はないと私は思います。彼らが邪悪な人々だと言っているのではありません。彼らは素晴らしい人たちだと思います。しかし、過去からの何かがあるのです。関わるなら、それらのものはすべて、真の神ではない神を作り出していることになるのです。ですから、最初の 2 つの戒めを破ることは、オカルトのあらゆる形式をについて言っているのです。
さて、主は四世代までとも言われます。少し計算して、あなたの四世代までさかのぼってください。 私たち一人ひとりに 30 人の先祖がいます。その 30 人の先祖のうち一人もオカルトに関わったことがないと言い切れる人はどれぐらいいるでしょうか。そのように言い切れる人もわずかにいるかもしれませんが、私は言い切れません。
簡単な例を挙げましょう。何年も前に、私は当時よく行われていた家庭集会に参加していました。私は、20歳ぐらいの若者の隣に座っていました。私は聖霊に促されたような気がして、彼にこう聞きました。「あなたは聖霊を受けたことがありますか。」彼は、「はい、でも...」と答えました。人がその質問に、「はい、でも...」と答えるときは、こういう意味です。「でも、私は異言を話しません。」そして、私には、彼が実は異言を話したいと思っているようでした。私は強制しようとも、議論もしませんでしたが、主が私を促したので、「あなたは占い師のところへ行ったことがありますか」と聞きました。彼は考えて、「はい、15歳の時に一度だけ。でも、冗談のつもりで、特に意味はなかったんです」と言いました。私が、「行ったんですね」と言うと、彼は「はい」と答えました。私は、「あなたは、神がそれを禁じていることは知っていますね」と言いました。彼はそれを認めるのを少しためらいながら、知っていると言いました。私は、「それを罪として告白し、その影響から解放される祈りを導いてもいいですか」と言うと、彼は「はい」と答えました。彼はただ私との会話から解放されたくて、そう言ったのだと思います。ですから、私は、「主よ、私は占いなどに行ったことを罪として告白します」などのようなとても簡単な祈りを導きました。私はそれ以上何も言わず、彼の肩に手を置いて祈りました。すると、彼は即座に異言で流ちょうに話し始めたのです。見えない障壁が彼を異言の自由から遠ざけていたのです。それはオカルトでした。これは簡単な一例にすぎません。
申命記 27:15-26 には、12 の呪いが宣言されており、イスラエルの民が約束の地に入って行くとき、それらの呪いを自分たちに宣言しなければなりませんでした。もし、彼らがその律法に従わなかったら、彼らは自動的にそれらの呪いの下に置かれたのです。その宣言をしなければ、彼らは約束の地に入ることはできませんでした。私たちが神との関係に入るときも、同じことが言えます。私たちが従順であるなら、祝福のもとに入りますが、もし不従順であるなら、呪いのもとに来る危険性があるのです。
申命記 27:15 以下で言われている呪いを要約してお話しします。一つ目、もう一度言いますが、偶像礼拝、偽りの神々です。これは常にリストの最初に来ます。二つ目、親を敬わない、軽蔑すること。これは、新約聖書のエペソ 6 章でも繰り返されています。
「『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。』という約束です。」
私が個人的に確信していることは、自分の親を敬わない人は、決してうまくいかないということです。私は多くの人々の例を思い浮かべることができます。それは、救われない、異言を語れない、死んでも天国に行けないという意味ではありません。しかし、親との関係が整えられるまでは、人生に何らかの欠けているものがあるのです。それは、親に同意しなければならないとか、親の言うことをすべて聞かなければならないという意味ではなく、親を敬わなければならないということです。
私が担当したもう一人の若者についてお話しします。彼と父親との関係は全く良くありませんでした。その父親は死んで、私たちのいた場所から1600km 以上離れた墓地に埋葬されていました。この親を敬えという真理が彼を突き刺したとき、彼はその遠い道のりを旅して、父親が眠る墓地に行き、ひざまずいて、父に対する自分の間違った態度を告白し、心臓が張り裂けんばかりに泣き、別人となって立ち上がりました。その時から、彼の人生のコースは変えられました。特に現代では、親に恨みを持っている人はたくさんいるでしょう。そのことは私も理解しています。私は非行少年、非行少女は一人もいない、ただ怠慢な親がいるのだけだと言いたいのです。とはいえ、しあわせで長生きをしたいなら、神が言われることを行うのが賢明です。そうしない理由はありません。
次に、隣人に対する裏切りです。箴言には、「善に代えて悪を返すなら、その家から悪が離れない」と書かれています。
そして、弱者あるいは無力な者に対する不正です。個人的に、私は母の胎内の赤ちゃん以上に弱く、無力な者はないと思っています。意図的に妊娠中絶をした人はだれも、呪いのもとに来るというのが私の個人的な確信です。私は、その呪いを取り扱わずに、そのような人に奉仕することはありません。私はその人が永遠に呪われると言っているのではないことを理解してください。解決策を示すために、その問題を伝えているのです。
それから、不適切な性的関係、特に近親相姦です。聞くところによると、アメリカでは、10 歳以下の女の子の 4 人に 1 人、男の子では 5 人に 1 人が性的虐待を受けたことがあると言われています。私は、呪いなしでそのようなことが起こるとは考えられません。
ここで、創世記 12 章のアブラハムの召命を見てみましょう。そこには重要な意味があるので、見ておく必要があります。神はアブラハムを呼び出し、様々なことを約束し、3 節でアブラハムにこう言っています。
「あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。」
つまり、祝福と呪いの両方があるのです。それは、神が祝福するために一人の人を選び出すときに、その人はあらゆるサタンの力が働く対象となるからです。ですから、神は保護策を講じたのです。神はアブラハムに言いました。「あなたを呪う者をわたしは呪う。」
創世記 27:29 でその守りが父イサクからの祝福においてヤコブまで拡大されています。
「おまえを呪う者はのろわれ...」
そのアブラハム、イサク、ヤコブの家系は、何という民族(国)になりましたか。そう、イスラエルです。そしてユダヤ民族を呪ったり、彼らに敵対したり、虐待することを一般的に何と言われていますか。反ユダヤ主義です。私の個人的な意見ですが、反ユダヤ主義には必ずと言っていいほど、個人や国家に対する呪いがやって来ます。過去 19 世紀の歴史を見ると、ユダヤ民族を呪った国々が次から次へと呪いの下に来たことがわかります。妻と私には、アメリカ国籍を持っているイスラエルのハイファ出身のパレスチナ系アラブ人の友人がいます。彼は数年前にイエスと劇的な出会いをしました。私は彼を聖霊のバプテスマに導きました。彼は当時、億万長者でしたが、彼は救われたあと破産したのです。彼は、「神さま、あなたは私に何を言おうとしているのですか」という思慮を持っていました。神は言われました。「私はあなたの高慢を取り扱っている。」また神は、彼とそのすべての先祖が常にユダヤ人を呪っていたことを示されました。私はパレスチナでアラブ人の間に住んでいましたが、アラブ人がユダヤ人を呪うことは普通のことで、一部の例外を除いて、基本的に彼らは皆そうするのです。神は彼に、その態度を変えるなら、彼の祝福を回復することを示されました。彼は悔い改め、ユダヤ民族への愛を与えてくれるように神に求めました。彼はほとんどのユダヤ人よりも親イスラエル派のパレスチナ系アラブ人です。そして彼は現在、億万長者になっています。お分かりですか。自分の人生に働いている原因を発見することは、いかに重要なことでしょうか。
そしてもう一つ、預言者エレミヤによって宣告された非常に重要な呪いがあります。それは短い言葉なので、私たちはその重要性を認識することなく、見逃してしまうことが多いのです。エレミヤ 17:5-6 です。
「主はこう仰せられる。『人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。そのような者は荒地のむろの木のように、しあわせが訪れても会うことはなく、荒野の溶岩地帯、住む者のない塩地に住む。』」
これは、呪いの下にあるものを見事に描写しています。祝福は至るところにありますが、その人は塩地に住んでいます。雨はどこにでも降りますが、その人の上には降りません。その呪いの原因は何ですか。人間に信頼し、肉を自分の腕とすることです。しかし、聖書は「心が主から離れる者」と言っています。つまり、神の超自然的な恵みと祝福を知っていながら、自分の努力に頼ることに戻ってしまうことです。それは呪いをもたらします。
あなた自身で判断してくださるよう願います。しかしそれは、今日のキリスト教会の大部分の状況であると言えるでしょう。今日の教会のほとんどすべてのムーブメントは、聖霊の主権の超自然的な訪れと働きから始まりました。そうでなければ、それらは教会史の中で成功を収めることはなかったでしょう。しかし、今日それらのほとんどは、超自然的な恵みと神の力に背を向け、自分たちの努力と力と能力により頼み始めていると言えます。そのため、彼らは呪いのもとにいます。祝福の中にいるべきであるのに、エレミヤ 17:5 に背いたために、私たちが呪いの下に来たということは、キリスト教会の一つの大きな問題だと思います。
さて、ゼカリヤ 5:1-4 で、ゼカリヤは飛んでいる巻き物の幻を見、その巻き物の両側には呪いがありました。一つは盗む者への呪い、もう一つは偽って誓う者への呪いです。その幻の中で、この巻き物は人の家に入り、そこを宿とし、家全体が立ち滅ぼされます。それが呪いの本質です。特定の領域にだけ影響を与えるのではなく、その周りのものすべてを蝕むような影響を与えます。ですから、そのことをよく考える必要があります。次にあなたが所得税の確定申告などをするときに、不誠実であるなら、あなた自身を呪いにさらすということを心に留めておいてください。なぜなら、あなたは、この申告に間違いはないと宣言しなければならないからです。
アメリカでは、少なくとも小売商品の原価の10%が万引きや盗難に対する保険に当てられています。人々がもし万引きをしなかったら状況がどれほど違ってくるか考えてみてください。基本的にそれはインフレに対する答えになります。呪いがどれほど現実的であるか分かりますか。それは国全体に影響を及ぼすのです。
そして、マラキ 3 章を見ておかなければならないと思います。マラキ 3:8-10 です。
「人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか。』それは、十分の一と奉納物によってである。あなたがたは呪いを受けている。あなたがたは、わたしのものを盗んでいる。この民全体が盗んでいる。十分の一をことごとく、宝物倉に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。こうしてわたしをためしてみよ。──万軍の主は仰せられる──わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうかをためしてみよ。」
今、私はすべてのクリスチャンが什一献金を払うべきだと教えているのではありません。なぜなら、新約聖書では、それは律法ではなく、恵みであると言っていると理解しているからです。しかし、その恵みは、律法以上にさらに私たちを寛大にさせるものであると言いたいのです。私たちは、素晴らしい約束の上に確立された、より素晴らしい契約を持っていると教えられています。それに基づいて、私たちがイスラエル人より少ないささげ物で良いと思いますか。一つだけ言わせてください。神に対する出し惜しみは、呪いをもたらします。神への出し惜しみは非常に哀れな経済です。私はどこのクリスチャンにも、献金の時にこう言います。神はあなたのチップを必要とはしません。よく考えてみてください。神に50 円や 100 円のチップを差し出すようなことはしないでください。あなたはささげる必要はありませんが、あなたは神にささげているのです。もう一度言います。神はあなたからのチップは必要ありません。与えるということにおいて、教会でそのような不敬があるのです。ささげることは礼拝の一部であることを理解して、礼拝として行うべきです。私は根っからのイギリス人です。私の国であるイギリスは、呪いのもとにあったと思います。なぜなら、イギリスのクリスチャンは基本的にケチだからです。今それが変えられていることを神に感謝します。イギリスに新しい時代が来ていると思います。
そして、ガラテヤ 1 章でもう一つ、教会に影響を及ぼす非常に重要なことが書かれています。パウロは、イエスによって超自然的に福音が啓示されたことについて言っています。ガラテヤ 1:8-9 です。
「しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。」
ここで使われている呪いという語は、「神にとって忌まわしい者、神はそのような者を受け入れない」という意味です。神から完全に遮断されるのです。その呪いの原因は何ですか。福音という名のもとに、 福音の真理ではないことを宣べ伝えることです。エレミヤ 17:5 とガラテヤ 1:8-9 を合わせて、現代の教会に当てはめてみると、祝福が残されていることは奇跡的だと思います。そして、マラキ 3 章を付け加えると、神に出し惜しみをする人は呪われるのです。
みなさん、私たちが何をしなければならないかを知っていますか。悔い改めです。私たちのやり方を変え、神を真剣に受け止める必要があります。信仰の定義は様々ありますが、非常にシンプルな一つを提案します。信仰とは、神を真剣に受け止めることです。聖書を真剣に捉えてください。
では、今まで見てきた主な呪いの原因を簡単にまとめましょう。第一に、偽りの神々、すなわち偶像礼拝とオカルトです。それはどの項目よりも上位に来ます。それから、両親を敬わないこと、隣人に対する裏切り、弱者や無力な者への不正、不適切な性的関係、近親相姦、反ユダヤ主義、神の恵みよりも肉に頼ること、盗み、偽りの誓い、神への出し惜しみ、そして福音と称しながら真理をゆがめたメッセージをする、福音を曲げることです。
私は、第二次世界大戦中、英国陸軍に 5 年半在籍しました。私は従軍牧師の説教から多くのみことばを聞きました。入隊したとき、私は主を知らず、福音も知りませんでした。私は軍の中で主に出会いましたが、従軍牧師は福音のメッセージを語っていた記憶はありません。ですから、これは私たちが直面する非常に大きな問題なのです。
このセッションを終わりますが、次のセッションで、その他の呪いの原因を取り扱います。そして、非常に重要な部分である、呪いからどのように解放されるかをお話しします。ですから、みなさんどうか祈りの姿勢で臨んでください。周りの人と話してはいけないということではなく、神が今あなたに与えておられる油注ぎを消さないようにしてください。なぜなら、神はあなたに多くのものを用意しておられるからです。自分をごまかさないでください。あなたが呪いから解放され、祝福を受けるための資格を得るための姿勢を保っていてください。

学習教材
個人的な使用、メッセージの準備、聖書の学びのディスカッションのために。
コード: MV-4285-100-JPN











