呪いからの解放 - 後編

デレク・プリンス
Published: 1990
Last Updated: 2026年7月
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呪いから解放され、主の言葉に歩みを戻そうと奮闘していませんか?デレク・プリンス著『呪いからの解放 パート2』で、呪いがどのようにしてあなたの人生に入り込んでくるのかを理解しましょう。彼はあなたを聖書の旅へと導き、福音への理解を深め、復活を受け入れ、呪いからの解放へと導きます。
Transcript
最初のセッションでは、呪いが人々の人生に作用する一般的な方法と、呪いの基本的な原因をいくつか挙げました。すべての呪いの第一の原因は、神の声を聞かず、神が言われたことを行わないことです。そして、神の声を聞かず、神の言われたことを行わないという罪には多くの形があります。私たちは、神に喜ばれない不従順や行いに対する、神ご自身が宣告される様々な呪いを見てきました。すべての呪いの最大の原因は、偽りの神々、偶像礼拝、オカルトであることを見てきました。また、神が呪いを宣告された具体的な事柄をいくつか見てきました。
では、その他の呪いの原因となるものを 6 つほど見ていきましょう。呪いからどのように解放されるかという現実的なクライマックスにたどり着くように話したいと思います。私の経験では、多くの場合、人々は、呪いが最初にどうやって来たのかを理解するまで、自分が解放される必要性に気づかないのです。
もう一つの呪いは、神のために神の代弁者として語る人たちからのものです。聖書にはこの例が多くあります。そのうちのいくつかを見ていきましょう。一つ目は、イスラエルがエリコを占領し、破壊したあとのヨシュア記 6:26 にあります。神の民の指導者であり、神の代弁者であるヨシュアは、のちにその場所に町を再建する者に呪いを宣言しました。
「ヨシュアは、そのとき、誓って言った。『この町エリコの再建を企てる者は、主の前にのろわれよ。その礎を据える者は長子を失い、その門を建てる者は末の子を失う。』」
これは、一般的な呪いではなく、非常に特別な呪いでです。この呪いの形は、エリコを再建する者は、その人の息子2人の命を失うというものでした。ほとんどのイスラエル人はこの呪いを忘れ、歴史の中に埋もれてしまっていたのでしょう。しかし、それから約 500 年後、イスラエルのアハブ王の時代に、ヨシュアが宣告したとおりの呪いを受けた人がいました。それは、I列王記 16:34 に記録されています。
「彼の時代に、ベテル人ヒエルがエリコを再建した。彼は、その礎を据えるとき、長子アビラムを失い、門を建てるとき、末の子セグブを失った。ヌンの子ヨシュアを通して語られた主のことばのとおりであった。」
別訳では、「彼の息子の命を代償にして」と言っており、現代の翻訳の大部分もそのように訳しています。500年前にヨシュアが宣告した呪いに逆らった男は、その代償として 2 人の息子を失ったのです。
当時の医者たちは、この 2 人の息子の死因を聞かれた時、何と答えたのだろうと、私はよく考えるのです。500 年前に神のしもべによって宣告された言葉が原因だと理解できたでしょうか。この事件から分かることは、基本的に、呪いは何かによって断ち切られるまで続くということです。呪いは居座り続けるのです。
もう一つの顕著な例は、IIサムエル 1 章で、サウル王とその息子ヨナタンがギルボア山でペリシテ人に殺された後、ダビデがそれを嘆いて言った言葉です。IIサムエル 1:21 は、ダビデの激しい悲しみの原因を理解する必要があります。単にヨナタンがダビデの親友であったからだけではなく、またサウルが殺されたからでもありません。それは、偶像礼拝者が真の神の民に勝利したからでした。ペリシテ人は偶像礼拝者だったので、サウルとヨナタンの死体を見つけたとき、それを切り裂き、頭を切り落として、ベテ・シャンの城壁にさらし、偶像の宮で彼らの死を宣言したのです。当時、2 つの国(民族)が戦うときは一般的に、単に国(民族)同士が戦うのではなく、彼らの神々が互いに戦っていたことを知っておく必要があります。すなわち、一つの国(民族)が勝利すると、それはその国(民族)の神々の勝利とされたのでした。ですから、主のしもべであるダビデがそれほど悲しんだのは、ある意味、偶像の神々が真の神に勝利したからだったのです。ギルボア山は、サウルとヨナタンが殺された場所だったので、ダビデは無意識のうちに、ギルボア山についての異常なほどの嘆きを口にしたのです。
「ギルボアの山々よ。お前たちの上に、露は降りるな。雨も降るな。いけにえがささげられた野の上にも。そこでは勇士たちの盾は汚され、サウルの盾に油も塗られなかった。」
ダビデは、ささげ物の作物のための畑に露も雨も降るなと言い、その言葉は三千年前に語られました。今、ユダヤ人が自分たちの国に帰還し始め、彼らはあらゆる地域に木々を植え、再び耕し始めています。そして、山々で木を育てることにも驚くほど成功しました。しかし、ギルボア山には、まったく木々が育たないのです。つまり、ダビデが三千年前に宣告した言葉が、なおもギルボア山の状況に影響を与えていたのです。
そして、II列王記 5 章にもう一つの例があります。預言者エリシャは、アッシリヤ人のナアマンに癒すために神に用いられました。エリシャは、ナアマンにお金で癒しを買うことができると思われたくなかったので、ナアマンからのどんな贈り物も拒否しました。しかし、エリシャのしもべゲハジは、その贈り物を断るのはもったいないと思って、エリシャに黙ってナアマンのあとを追い、銀と着物を求めました。戻って来てそれを隠し、エリシャが知らないと思ってエリシャの前に立つと、エリシャは彼にこう言いました。「あの人のあとを追って行ったとき、私の霊もあなたと一緒に行ったのではないか。」そして、エリシャはゲハジの上にこのような呪いを宣告しました。「ナアマンのらい病(ツァラアト)は、いつまでもあなたとあなたの子孫にまといつく。」そして、ゲハジは進行したらい病によって雪のように白くなって、エリシャの前から出て行ったとあります。そして、その呪いは永久に彼の子孫に受け継がれたのです。
これらの例からわかることは、誰かがその呪いを断ち切る方法を知るまで、呪いが続くということです。今日、神のしもべがそのように呪うことができるのでしょうか。新約聖書の中で、イエスがいちじくの木を呪ったことを覚えていますか。たった 24 時間の間にその木は根元から枯れてしまいました。そして、弟子たちが驚いていると、イエスは言われました。「あなたがたは、私がこのいちじくの木にしたこと以上のことができます。あなたは山を動かすこともできるのです。」山を動かすことについては、今は置いておきましょう。イエスは、「私がいちじくの木にしたことをあなたにもできる」と言われました。
私が恐れを感じた出来事をお話しします。1965 年頃、私はシカゴの都心にある教会のミニストリー・チームの一員でした。教会の隣には酒場(パブ)がありました。そのパブでは不道徳なことが行われていました。お酒だけでなく、ドラッグも売り、売春をあっせんする場所でもあったのです。非常に汚れた場所でした。10 月のある日、教会の祈り会で、私はリーダーシップの一人として講壇に立っていました。ある瞬間、何の前触れもなく、そのパブのことが私の思いの中に来て、教会のすぐ隣にそのパブがあることは、神への冒涜だと考えました。そこで私は立ち上がって言いました。「私はそのパブに神の呪いを宣言します。」それ以来、そのことについて思い出すこともありませんでしたが、約 2 か月後の朝 4 時頃、電話が鳴りました。「プリンス先生、教会が火事です。来てください。」その時シカゴは気温マイナス 20 度の真冬だったので、行きたくありませんでしたが、教会が燃えているのを放っておくことはできず、妻と車で教会に向かいました。案の定、2筋手前まで来た時、炎と煙が見えました。しかし、着いて見ると、火元は教会ではなく、パブでした。シカゴはミシガン湖に面していたので、湖からの風が教会の真上に炎を吹き付けていました。呆然と立ち尽くしていると、風は 180 度向きを変えて、教会から炎を吹き飛ばしました。翌朝、そのパブは全焼しており、教会は保険でカバーできる煙による被害を受けただけでした。私はその光景を見ながら考えました。「神さま、私に責任がありますか。」冗談で言ったのではありません。それは私が 2 か月前に教会で宣言した言葉の結果だと考えました。あまりにも大きな力が自分に委ねられていると気づいたのです。私が他の人と何か違っているわけではなく、すべてのクリスチャンがその力を持っているのです。そして、私はこう祈りました。「神さま、私が決してその力を間違って用いないように助けてください。」この話は、呪いが決して過ぎ去ったものではなく、今日にも当てはまるということを証明するための具体例としてお話ししているのです。
では、他の呪いの原因に進みましょう。次の原因は非常に重要でありながら、現代のクリスチャンにはほとんど理解されていないものです。権威を持つ人との関係によるものです。つまり、人間関係上での権威を持つ人物のことです。「権威」は今日、多くの場所や言葉では良いイメージがありませんが、確かに今も現実的なものです。権威は人間が作り出したものではなく、神から起こりました。私たちは、権威を持つ人々との様々な関係の中で生きています。好むと好まざるとにかかわらず、ある条件下において夫は妻に対して権威があります。例えば、両親は子どもに対して権威があり、教師は生徒に対して権威があります。牧師は信徒に対する権威があります。これらはほんの一例です。
さて、権威関係のゆえに、権威のある人から語られる言葉は、祝福であれ、呪いであれ、特別に超自然的な力があります。そして聖書を見ると、神の祝福に次いで人生の中で最も重要な祝福は、その人の父からの祝福なのです。それは今日も同じです。あなたのお父さんが健在なら、お父さんからの祝福を受けるために、あなたの力を尽くし、できる限りのことをしてほしいのです。母親もですが、一番は父親です。それは大きな違いをもたらします。
私は救われたとき、両親に対して良くない態度を持っていました。「両親は救われていない、私は救われている。両親は理解していないが、私は理解している」と思っていました。そんな私を神は戒め、もし、私が両親を敬わないなら、神の祝福は期待できないことを示されました。ですから、両親が亡くなる前に、彼らに適切な敬意を示すことができたことを感謝しています。そうでなければ、私は神の祝福を享受することはできなかったと思います。
知らずに妻を呪った夫とその結果の例を紹介しましょう。その話は創世記 31 章にあります。ヤコブはおじのラバンに仕えていました。ヤコブはラバンの 2 人の娘と結婚し、かなり裕福な家の主人になりました。しばらくして、主はヤコブに、メソポタミアのラバンのもとを去ってカナンの地に戻るように命じました。ヤコブは、自分がそのことをラバンに告げれば、ラバンは娘たちを連れ戻すのではないかと恐れました。そこで彼は、ラバンが別の場所で忙しくしている間にこっそりと出て行ったのです。しかし、ラバンとその親族はヤコブのあとを追ってギルアデ山で追いつきました。そしてラバンはヤコブにこう言いました。「あなたはなぜ、娘たちに別れも告げさせずに盗んで行ったのか。」ヤコブはこう答えました。「あなたが彼女たちを奪い取りはしないかと恐れたのです。」ラバンは、「そうか。しかし、あなたはなぜ私の家の神々を盗んだのか。」それはヘブル語でテラフィムと言い、悪霊から家族を守るために家に置いていた小さな偶像のことで、今日でもごく一般的に行われている慣習です。
ヤコブは、そのテラフィムについては何も知らず、最愛の妻ラケルが父の偶像を盗んだのでした。父から物を盗むことは非常に良くないことでした。そして彼女自身もそのオカルトに関わっているため、常に危険にさらされています。そして、このようなことが起こりました。創世記 31:30 です。
「『それはそうと、あなたは、あなたの父の家がほんとうに恋しくなって、どうしても帰って行きたくなったのであろうが、なぜ、私の神々を盗んだのか。』ヤコブはラバンに答えて言った。『あなたの娘たちをあなたが私から奪い取りはしないかと思って、恐れたからです。あなたが、あなたの神々をだれかのところで見つけたなら、その者を生かしてはおきません。』」
「その者を生かしてはおきません」とは呪いです。ヤコブは自分の言葉が最愛の妻ラケルに降りかかるなど、知る由もありませんでした。ラケルはその偶像を隠し通し、ラバンはそれを見つけることができず、その時はそれで終わりました。しかし数年後、次に出産する時にラケルは死んでしまいました。なぜでしょうか。自分の夫によって宣告された呪いのゆえです。このように、呪いは非常に現実的です。誰も受け入れたくないでしょうが、それが現実なのです。神は、人間の人生や人間関係に特定の原則を築かれたのです。
別の例をいくつか考えてみましょう。そのほとんどは、私が実際に扱った状況からのものです。夫に起こりうるもう一つの例を考えてみましょう。その男性は企業の役員で多忙で、経済的に成功し、意欲的でしたが、かなり冷酷な人です。彼は料理の苦手な女性と結婚しました。彼女は母親から料理を教わったことがありませんでした。長い間、彼は妻の料理に耐えていましたが、とうとう我慢できなくなって、こう言いました。「お前の料理にはうんざりだ。お前には料理は無理だ。」おそらく彼は何度もそう言ったでしょう。それは何でしょうか。呪いです。彼は気づいていませんが、自分にも呪いを宣告しているのです。「お前の料理にはうんざりだ」と言ったことで何が起こったでしょうか。彼は消化不良を起こしました。医者はその消化不良の治療法を見つけることはできず、死ぬまでそれに苦しむのです。結婚生活は破綻し、彼らは離婚しました。その妻は才能のある女性なので、キッチン以外のすべての領域で成功することができます。彼女はキッチンに立つと、体が震え始め、神経質になって、何もできなくなるのです。なぜでしょうか。夫の呪いです。彼ら 2 人とも死ぬまでその呪いが続きました。
では、父親を取り上げましょう。これは、おそらく最も一般的な例でしょう。その父親には 3 人の息子がいました。長男はいつも可愛がられていました。末っ子の三男は優秀でした。しかし、真ん中の子(次男)は長男でもなく、優秀でもありませんでした。次男は父の性格と似ている部分が多くありました。私たちは人が不快な態度をとった時、それは自分と似ているからだと気づいたことがありますが。親のみなさん、あなたが子どもの一人を嫌うとき、それはおそらく、最もあなたに似ているからなのです。あなたが嫌っているのは、自分自身の嫌いな部分なのです。
とにかく、父親は次男に言います。「おまえは絶対に成功しない。失敗ばかりしている。決してうまくいかない。」それは何ですか。呪いです。私は 40 代、50 代になっても、幼少期に父親から言われた言葉に苦しんでいる男性をたくさん見てきました。
また、ある父親に15 歳の娘がいました。多くの若い女性と同じように、彼女も15歳でニキビに悩んでいました。毎朝、父親が娘を車で学校に送って行くのですが、娘は毎日ニキビに薬を塗っているために支度が遅れるのです。父親は苛立ちが募り、ある日こう言ったのです。「おまえのニキビは治らないさ。一生ニキビ面づらだよ。」それから 15 年後、彼女は結婚して母となりましたが、なおもニキビに悩まされています。呪いのゆえです。
では、母親を取り上げましょう。これは私が実際に扱ったケースです。彼女の娘はいつも彼女を喜ばせ、自分の思い通りにしていました。彼女は、いわゆる操り、コントロールする母親でした。しかし、その娘は恋に落ち、母親の気に入らない男性と結婚しました。母親は言いました。「あなたは決してうまくいかない。いつも苦労して、満足することは決してない。」私はその相手の男性を知っています。彼は才能があり、有能な男性です。しかし、少なくとも 12 年の間、母親の言ったとおりに彼女は苦しみました。それが変わったのは、問題の根源である「母親の呪い」という現実を私が突きつけたときでした。現在、その娘夫婦の前には新しい人生が開けています。
教師について話しましょう。単語のスペルをちゃんと書けない生徒がいたとします。おそらくその生徒は難読症と思われます。それでスペルを間違えてしまうのです。教師は、「おまえは馬鹿だ。努力もしない。決して成功しないよ」と言います。教師はそのようなことを言うべきではないのですが、時に口から出してしまうのです。その結果、どうなりますか。その子どもは、それが原因で人生で成功することができなくなってしまうのです。
妻と私の友人の話です。彼女は 10 代の時、教師から「あなたは浅はかだ」と言われました。その生徒は現在50 代後半か 60 代だと思います。彼女はその言葉にずっと苦しんできました。その女性は決して浅はかでな人ではありません。彼女はとても素晴らしい女性です。しかし、その言葉の背後には権威があり、それが力を働かせるのです。
悪霊的な要素があるとよく言われます。一つの重要なことをヤコブ 3 章から紹介します。ヤコブ 3: 14-15 です。
「しかし、もしあなたがたの心の中に、苦いねたみと敵対心があるならば、誇ってはいけません。真理に逆らって偽ることになります。そのような知恵は、上から来たものではなく、地に属し、肉に属し、悪霊に属するものです。」
つまり、もしあなたの態度やあなたの反応が正しくない時に発言すると、その言葉には悪霊的な要素があるということです。笛吹ケトルについて考えてみてください。それを火にかけて、お湯が沸騰してきます。蒸気が出てきた瞬間、他に何が出てくるでしょうか。そう、笛の音です。笛は呪いのようなものです。分かりますか。蒸気が出るとき笛も鳴ります。笛が鳴るのを防ぐ方法はただ一つ、沸騰前にケトルを火からおろすことです。ですから、親や教師、夫が怒ってイライラし出した時、そのケトルを火からおろさないなら、蒸気と一緒に大きな笛が鳴るのです。残酷なこと、つらいこと、冷酷で不当なこと、呪いが怒りと一緒に吹き出され出てしまいます。そのようなことが現代文化で起こっているのではないでしょうか。
それから、もう一つの重要な領域を見ていきます。おそらく最も一般的なものは、自ら課す呪いです。自分自身に呪いを宣言するのです。創世記 27 章で、イサクがエサウを祝福しようとした時、母リベカはヤコブにエサウのふりをさせて祝福を奪ったいきさつを知っていると思います。ヤコブは不本意ではありましたが、恐れて、11 節でこう言っています。
「しかし、ヤコブは、その母リベカに言った。『でも、兄さんのエサウは毛深い人なのに、私のはだは、なめらかです。もしや、父上が私にさわるなら、私にからかわれたと思われるでしょう。私は祝福どころか、呪いをこの身に招くことになるでしょう。』母は彼に言った。『わが子よ。あなたの呪いは私が受けます。』」
リベカは、ヤコブが受けるはずの呪いを自ら引き受けました。それは自分で課した呪いでした。
その章の最後の節で、リベカが自分自身について非常に否定的な言葉を使い始めているのがわかります。46 節でリベカはイサクにこう言っています。
「私はヘテ人の娘たちのことで、生きているのがいやになりました。もしヤコブが、この地の娘たちで、このようなヘテ人の娘たちのうちから妻をめとったなら、私は何のために生きることになるのでしょう。」
「生きているのがいやになった。何のために生きているのでしょう。」これは、呪いの下にある人が口にする典型的な言葉です。決してそのようなことを言わないでください。自分自身について否定的な言葉を発しないでください。私には無理だ、絶対成功しない。私は役に立たない。私は失敗者だ。もうこれ以上前に進めない。そして続けてこう言うのです。「私は死んだ方がましだ。」自分が何をしているかわかっていますか。あなたは死の霊を招いているのです。死の霊は多くの招きは必要ありません。一言でやって来るのです。
妻と私は、死の霊からの解放を必要としている人々を数え切れないほど扱ってきました。彼らは死の霊を招き入れ、自分に呪いをかけたのです。そして、何百人もの人々を助けた素晴らしい聖句に出会いました。詩篇 118:17 です。
「私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。」
もし、あなたが自分自身について否定的な発言や、自分に否定的なものを課したことがあるなら、肯定的なものによって取り消す必要があります。その顕著な例が、ペテロが主を三度否定した後の出来事に見られます。復活の後、ガリラヤ湖畔で、イエスはペテロに個人的に語りかけました。イエスは三度、「あなたはわたしを愛しますか」と聞きました。ペテロに三度、自分を愛すると断言させたのです。イエスはなぜそんなことをしたのでしょう。それは、ご自分が十字架にかけられる前にペテロがした否定的な宣言を取り消さなければならなかったからです。お分かりですか。もし、私たちが何か否定的なことを言って、自分の上に暗い影をもたらしたなら、否定的なものを撤回し、肯定的なものに置き換える必要があります。そういう意味で、詩篇の「私は死ぬことなく...」という聖句は完璧です。それは、自分が決して死なないという意味ではなく、サタンがあなたの定めの時が来る前にあなたを殺さないということです。「私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。」一緒に言ってみましょう。私のあとについて言ってください。「私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。」もう一度言いましょう。「私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう。」今、それを言ったことで、あなたの人生の流れが変わることを祈ります。
では、もう一つの例、ユダヤ人の歴史における大きな悲劇を見てみましょう。マタイ 27 章でイエスは、ピラトの前に立たされ、ピラトはイエスを解放しようと思っています。マタイ 27:24-25 です。
そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。『この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。』すると、民衆はみな答えて言った。『その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。』」
これは何ですか。自ら課した呪いであり、ユダヤの歴史の大きな悲劇です。この言葉によって、20 世紀にわたるユダヤ人の歴史に悲劇の糸が織り込まれてしまったのです。自分自身について良くないことを言ってはいけないという大きな教訓です。
前回のセッションで、神はアブラハムを呪いから守ってくださったことを指摘しました。神は、「あなたをのろう者を、わたしはのろう」と言われました。神がユダヤ民族を守ることができなかった唯一の領域は、彼ら自身から出たものからでした。そして、それは多くの場合、私たちの人生においても当てはまります。神はすべてのものから私たちを守ることができます。私たちが自分自身について言ったこと以外は。
では、次の一般的な呪いの原因に進みましょう。それは、私が非聖書的な契約と呼んでいるものです。出エジプト記 23:32 で、イスラエルがカナンの地から追い出すべき人々との関係、イスラエルの民全員に関わる問題です。それは、生ける神に真っ向から逆らって生きていた人々、偶像礼拝者です。出エジプト 23:32 でモーセは言いました。
「あなたは、彼らや、彼らの神々と契約を結んではならない。」
もし、あなたが偽りの神を持っている人々と契約をするなら、あなたは彼らの神々と契約とすることになるのです。これから言うことで、誰をも不快にさせたくはありません。私の願いは人々を助けることだからです。欧米の現代文化で極めて一般的な例としてフリーメイソンがあります。なぜなら、そこに入る人は、フリーメイソンの人々と契約を結ぶからです。フリーメイソンは、それは非公表だと言いますが、そうではありません。1950 年代に英国国教会のハンナという聖職者がイギリスで出版した『Darkness Visible』という本には、フリーメイソンの主な儀式と式典がすべて書かれていますが、30 年以上経っても、その本に異議を申し立てるフリーメイソン会員は一人もいません。フリーメイソンの会員になるときには、フリーメイソンの秘密を漏らすなら、自分に呪いがあると宣言しなければなりません。それは、舌を切られるとか、右腕が切り落とされて左肩に乗せられるとか、体を 24 時間海辺にさらされるというようなことが含まれています。それらは自分に課す呪いです。フリーメイソンは偶像の宗教です。そのことは、第 32 階級の王者の秘密の至高の王子という階級からも明らかで、ジャーブロンと呼ばれる人物を礼拝します。これはエホバとバアルとオシリスを組み合わせたものです。そして聖書の真の神は、神が完全に非難している 2 つの偶像神に加えているのです。フリーメイソンと契約を結ぶということは、それらの神々と契約を交わすことなのです。
私は、多くの経験に基づいてこれを話しています。すべての経験を説明する時間はありませんが、一つだけ簡単に分かち合いましょう。3、4 年前、妻と私はオーストラリアの教会で日曜日に奉仕しており、人々のために祈っていました。18 歳ぐらいの若い女性が小さな赤ちゃんを抱いて、その子のために祈って欲しいと名乗り出ました。その赤ちゃんは生後 6 日ぐらいに見えたのですが、実は生後 6 週間だと母親は言いました。私たちは何が問題なのかと聞くと、まったく栄養を摂らないのだと言いました。神の力がその若い母親に臨むようにと祈ると、彼女は床に倒れたので、私の妻が母親の腕から赤ちゃんを取って抱きました。その母親が床に横たわっているとき、神は妻に知識のことばを授けました。その母親の父親はフリーメイソンだから、その力に対処しなければならないというものでした。そして、私たちと一緒に彼女のために祈っている人々がその力に立ち向かった瞬間、その母親は悪霊の力によって身をよじって叫び始めました。そして祈り続けていると、彼女は長い叫び声を上げて解放されたのです。しかし注目すべきは、私の妻の腕の中の小さな赤ちゃんも同時にまったく同じような叫び声を上げたのです。つまり、母親が解放されただけでなく、赤ちゃんも解放されたのです。
それから 6 時間ほど経ったその日の夕方、その母親が教会に戻ってきたので、赤ちゃんの様子を尋ねました。すると、朝から哺乳瓶でミルクを丸々3 本飲んだと言いました。しかし、私がみなさんに理解していただきたい事実は、父親がフリーメイソンに参加していたことが、娘と孫娘の上に呪いを招いたということです。時間がありませんので、あと 6 つぐらいの例を分かち合います。
フリーメイソンは、家族に影響を及ぼし、子孫に影響を及ぼし、配偶者に影響を及ぼし、親戚に影響を及ぼします。他の方法でそのような呪いを招くものがあります。部族社会では、赤ちゃんや若者が特定の儀式によって部族に入れられるという慣習はよくあることです。その際、皮膚に傷をつけたり、皮膚の下に粉を埋め込んだりすることがしばしばあります。これによって、その部族の中心である偶像礼拝の呪いにその人がさらされることになります。時間の関係で具体例をお話しすることができません。
それから、サタンのしもべによって宣告される呪いがあります。言語によって様々なサタンのしもべの呼び方があります。英語では、witch doctor と呼びます。アメリカでは、medicine men、スワヒリ語ではウムチャワです。ルオ族という民族は、ジュオウキと呼びます。マオリ人は、トマンガと呼んでいるようです。呼び方や見た目は様々ですが、同じものです。率直に言いますが、そのような人々は実際に超自然の力があるので、彼らとその力を過小評価しないでください。もしあなたが宣教師として部族のところへ行くなら、部族の人々にサタンも悪魔も実在のものではないと言ってはいけません。なぜなら、部族の人々は、それが実在することをあなたよりもよく知っているからです。あなたは、サタンは実在するが、イエスはそれ以上に力があるというメッセージをしてください。特に、あなたがそのことを示すことができた時、彼らはあなたの話に耳を傾けるでしょう。
一つ、例を挙げた方がよいでしょう。これもザンビアでのことです。その目撃者である男性によって書かれた文書を私たちはもらいました。ある教会で 2 人の長老が仲たがいしていました。奇妙に聞こえるかもしれませんが、アフリカではよくあることです。一方の長老がもう一方の長老に呪いをかけるために呪術医(まじない師)のところへ行きました。呪術医は喜んで呪いをかけました。対象者がクリスチャンだったからです。そしてその呪術医は、藪の中に行って、ある特定の砂を取って戻り、手鏡に塗り付け、その長老に言いました。「さあ、土をふき取り、何が見えるか言いなさい。」長老がその鏡を見ると、自分が呪いたい人の顔が映っていました。呪術医は言いました。「ナイフを取って、鏡を切り裂きなさい。」長老が言われるとおりにすると、血が鏡の上に現れました。そして、長老が戻ってみると、もう一人の長老は死んでいたのです。それを何と呼べばいいのでしょうか。殺人とは言えません。なぜ、聖書が魔術を禁止しているかがお分かりですか。これは、若いころからずっと宣教師をしてきた 70 代の人の詳細な話の記録です。私が言いたいのは、恐れる必要はありませが、過小評価しないでほしいということです。イエスは言われました。「確かに、わたしは、あなたがたに、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。」それが現実的なアプローチです。
聖書の中から一つの例を見ましょう。民数記 22:4-6 はバラムの話です。モアブの王は、呪術医であるバラムに使いを送りました。彼は非常に力ある有名な呪術医でした。5-6 節でモアブの王はバラムにこう言いました。
「今ここに、一つの民[イスラエルの民]がエジプトから出て来ている。今や、彼らは地の面をおおって、私のすぐそばにとどまっている。どうかいま来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。この民は私より強い。そうしてくれれば、たぶん私は彼らを打って、この地から追い出すことができよう。私は、あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを知っている。」
これは、戦いにおいて頻繁に行われていたことでした。現在でも部族社会では行われています。単に自分の部族と別の部族との戦いだけではなく、自分の部族の神々が相手の部族の神々との戦いでもあるのです。そして、事前に勝利を得ることができれば、実際の戦いで勝つことができるのです。中東の国のある文書に、エジプトの王たちが呪いを宣言した 77 の国が記録されています。それは、敵を呪うことができれば、敵を倒すことができるという原則から来ています。
これは多くの西洋人には馴染みのないことなので、一つ興味深い例を挙げましょう。ダビデがゴリヤテと対決するために出て行ったとき、武具を付けずに石投げだけを持っていたのを見て、ゴリヤテは怒って侮辱しました。Iサムエル 17:43 を読みましょう。
「ペリシテ人はダビデに言った。『おれは犬なのか。杖を持って向かって来るが。』ペリシテ人は自分の神々によってダビデをのろった。」
このように、彼らが戦いを交える前に、ゴリヤテは自分の偶像に呼びかけたのです。そしてダビデはこう答えます。「私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。」このように、それは神々の戦いです。どちらが勝ったかはご存知でしょう。しかし、私が言いたいのは、サタンのしもべには呪う力があるということです。
もう一つの呪いの原因が申命記 7:25-26 で述べられています。その前の節は、カナンの住民について述べています。
「あなたがたは彼らの神々の彫像を火で焼かなければならない。それにかぶせた銀や金を欲しがってはならない・・・26 節:忌みきらうべきものを、あなたの家に持ち込んで、あなたもそれと同じように聖絶のものとなってはならない。それをあくまで忌むべきものとし、あくまで忌みきらわなければならない。それは聖絶のものだからである。」
つまり、あなたが偶像礼拝やオカルトに関するものを家の中に持ち込むなら、あなたは家の中に呪いの道を開くことになるのです。これは私がよく扱う問題です。私は解放の集会の最後には、人々に、もし自分が呪いからの解放だと思うなら、家に帰って自分の家の中にあるものを調べた方がいいと言います。イエス・キリスト以外の神を宣伝するようなものがないかをチェックするのです。私個人の原則は、イエス・キリストの名を汚すいかなるものも私の家には置かないということです。一つの簡単な例を挙げましょう。子どもが夜あまり寝ない、落ち着きがない、泣く、おびえる、という両親からの相談がよくあります。よくある理由の一つは、サタンにアクセス権を与えているものが家のどこかにあることです。家を隅々まで調べて、オカルトに関するものをすべて処分する必要があります。いかなる迷信的な物もすべてです。イギリスでは、不運を避けるために馬の蹄鉄を置いていたりしますが、それは迷信です。それは魔除けではなく、サタンへの扉を開いてしまうものです。
さて、本当に重要なクライマックスに来ました。呪いから解放される方法についてお話しします。いくつかのシンプルな指示をしたいと思います。私が人々に教えている基本的なパターンは、4 つの言葉で校正されています。「認識する」、「悔い改める」、「放棄する」、「抵抗する」、です。「認識する」とは、自分の問題が何であるかを認識することです。なぜ私がこのことにここまで時間を割いてきたかと言うと、あなたが自分の問題を認識するのを助けるためです。二つ目、「悔い改める。」自分を呪いにさらすことになったすべての行いを悔い改めるのです。三つ目、「放棄する。」もうその呪いに影響されることはないと宣言するのです。神はイスラエルに、ほかの神々を拝んではいけない、受け入れてはいけないと言いました。そして、私たちはクリスチャンとして同じことを断言しなければなりません。「私は神以外から来るものは何も受け入れません。それを拒否します。それを捨てます。そのようなものは私の中に居場所がない」と言うのです。そして最後に、「抵抗する」のです。継続的に行ってください。抵抗し続けるのです。そのものが再びあなたを支配することに抵抗し続けてください。その4つの言葉をもう一度言いましょう。「認識する」、「悔い改める」、「放棄する」、「抵抗する」。ヤコブ 4:7 はこう言っています。
「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」
悪魔はどうするでしょうか。あなたがその条件を満たせば逃げ去るのです。いいですか。しかし、抵抗し続ける必要があります。強い風が吹いてきたら、ドアを閉め続けなければならないのと同じです。もしドアを開けたら、風が吹き込んできてしまいます。
ですから、あなたの解放のために明確な聖書的土台を建て上げてほしいのです。素晴らしい聖句がガラテヤ 3:13-14 にあります。
「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって...このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。」
他の聖句をいくつか紹介しましょう。エペソ 1:7.
「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。」
コロサイ 1:12-14
「また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。」
つまり、十字架のイエスのみわざを通して、私たちは暗闇の圧制、つまりサタンの圧制から解放され、イエス・キリストの御国の中へ移されることができるのです。2 つの領域があり、その 2 つには深い谷間があるようなものです。その二つとは、サタンの領域と神の国の領域です。その谷間には、たった一つだけ橋があります。それはイエスの十字架です。あなたがその橋を渡るなら、サタンの王国を出て御国へ行くことができるのです。そこが、神があなたに望んでおられる場所です。
そして、Iヨハネ 3:8 の後半部分を読みましょう。
「神の子が現れたのは、悪魔のしわざを打ちこわすためです。」
何のためにですか。悪魔のしわざを打ち壊すためです。そのためにイエスは来られたのです。
そして、先ほど引用したルカ 10:19 です。
「確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。」
これらは、非常に明確な聖書的土台です。
そして、その土台を建て上げたなら、キリストへの信仰を告白してください。なぜなら、イエスは、私たちの告白の大祭司だからです。あなたの告白、つまり、あなたがイエスについて語ることに基づいて、イエスがあなたの大祭司の役割をしてくださるのです。
次に、従順な人になってください。祝福を受ける資格を得るにはどうすればいいかを覚えていますか。神の声を聞いて、神の言われることを行うことです。ですから、あなたが解放を受け取ったら、これからは神が言われることを聞いて行うと決心をしてください。
次のステップは、あなたが知っているすべての罪を告白することです。あなた自身であれ、あなたの先祖であれ、すべてです。なぜなら、あなたの先祖の罪は何らかの方法であなたに影響を与えうるからです。誤解しないでください。あなたは先祖の罪に対する責任はありません。しかし、それらの罪による影響はあります。お分かりですか。あなたは自分の罪に対しては責任があります。しかし、完全に明らかにするためにも、もしあなたの先祖が偶像礼拝者や、クリスチャン・サイエンティスト、あるいはモルモン教など、完全に聖書に反するものであったことをあなたが知っているなら、そこから解放されなければなりません。
それから、すべての人を赦すことが必要です。イエスは、あなたが祈るとき、だれかに対して恨み事があったら、どうしなさいと言われましたか。「赦してやりなさい」です。誰かに対しても、どんなことでもです。何一つ、誰一人残らず、すべてです。赦せない思いは、あなたの祈りの答えの妨げになります。赦すことは感情ではなく、決断です。私は、それは借用書を破棄するようなものだと言っています。一人の女性についてお話ししましょう。私が赦しについて話し、夫に虐待された多くの妻が、夫を赦すことができずに苦しみ続けていることを説明していました。私はこのように言いました。あなたの手には、夫からの借用書の束があります。その借用書は、私(夫)はあなた(妻)に、愛、サポート、名誉、ケアを提供する義務があります、という内容です。それらは完全に有効で合法的です。夫は妻に対してそうあるべきです。しかし、神は天の上で、その手の中にあなたから神へのさらに大きな借用書の束を持っておられます。神は今、取引をしようと言っておられます。「あなたは夫からの借用書を破棄するなら、私(神)も私の借用書を破棄しよう。しかし、もしあなたがあなたの借用書を破棄しないなら、私も私の借用書を破棄しない。」つまり、あなたが赦されたいのなら、赦さなければならないのです。他に選択肢はありません。さて、私はその集会でのメッセージを終えました。30 歳ぐらいの洗練された聡明 な感じの女性が通路を歩いて講壇に向かって来ました。私は、彼女が何をしようとしているのか、私に攻撃してくるのではないかと思いました。彼女は私の顔をじっと見て、「プリンス先生、私はあなたが話している間に、3 万ドルに相当する借用書を破棄したことをお伝えしたいのです。」そう言って、振り向いて帰って行きました。私が彼女に対して個人的に何も言わなくても、彼女は私のメッセージを受け取ったのです。すべての人がそのように素早く理解してもらえたらと願います。他の人々を赦さなければならないことを。
それから、あなたはオカルトとの接触をすべて断たなければなりません。自分自身、あるいはあなたの先祖たちが関わってきたものもすべてです。さっきも言いましたが、あなたは先祖がしたことに責任はありませんが、あなたに影響を及ぼすのです。
それから、あなたは私が話してきた、すべての「オカルトにつながる物」を処分しなければなりません。もし家の中にそれらを持ち込むなら、呪いを持ち込むことになるのです。
そして、それらすべてのことを実行し、条件を満たしたら、イエスの御名によって自分を解放することができます。イエスは、何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれていると言われました。今から実際に行いますが、あなたが解放されたあと、どうすればいいのかを示したいと思います。
あなたはアブラハムの祝福を受けるために呪いから解放されたのですから、告白し、期待しなければなりません。私たち夫婦がパターンとしてよく使っている告白の一つをしたいと思います。
「十字架のイエスの犠牲を通して、私たちは呪いの下を抜け出て、神がすべてのことにおいて祝福したアブラハムの祝福の中に入ります。」
いくつの祝福ですか。すべてのことです。その祝福を受けたいですか。神はあなたのために備えておられます。それが聖霊の祝福であることを忘れないでください。つまり、祝福を管理しているのは聖霊です。そのことは重要です。あなたは聖霊と友達にならなければなりません。もしあなたが聖霊を悲しませるなら、もしあなたが聖霊を敬わないなら、聖霊は祝福を与えてくれません。聖霊は神の倉庫のカギを持っています。もしあなたが宝を望むなら、その倉庫の管理人と友達になってください。
もう一度言いますが、それはすべてのことにおける祝福です。その祝福は一晩で受けることはできませんが、そのための資格は一晩で得ることはできます。お分かりですか。このように言うと、間違ったとらえ方をする人がいます。今日、あなたはUターンして、正しい方向に進み始めますが、それは到着したという意味ではありません。あなたはその途上にいるのです。アブラハムの祝福を受け続けたいなら、あなたはその方向を維持し、神が言われることを聞いて行わなければならないのです。そして、正しい告白をし続けなければなりません。
その告白は後にします。今、何らかの形で自分の人生に呪いの影があって、解放されたいと感じている方がいたら、解放の祈りを導きたいと思います。先ほど話した、祈りを読んで完全に癒されたミリアムの話を覚えていますか。私はあなたに癒しを約束するのではありません。それは神の手の中にあります。しかし、もしあなたの病気が呪いから直接来ているなら、呪いから解放されれば、その病気が癒される資格を得ることができます。ですから、導いてほしいと願う方は、立ち上がってください。私が祈りを導きます。あなたの人生、あなたの家族、あなたの家に何らかの呪いの影を感じている方、あなたがこれを言うことによって失うものはありません。
では、これから行うことを簡単に説明しましょう。初めに、私たちは明確な聖書的土台を建て上げます。聖句をいくつか紹介しました。今、あなたはキリストにあるあなたの信仰を告白し、従順になることを誓い、あなたが知る限りの自分の罪やあなたの先祖の罪を告白する必要があります。それをする時間を少し取りますので、静かにその罪を告白してください。それから、すべての人々を赦すための時間を取ります。そのあと、あなたやあなたの先祖によるオカルトとのあらゆるつながりを断ちます。すべての「オカルトにつながる物」を取り除くことを誓い、イエスの御名によって自分自身を解放するのです。いいですか。
では、私が言葉を与えますが、あなたは私にではなく、主イエス・キリストに祈ってください。そして、イエスがその祈りに答えてくださるのです。私ではありません。私にはその力はありません。イエスにあるのです。では、私のあとについて言ってください。
「主イエスさま、私はあなたが神の子で、神への唯一の道であること、あなたが私の罪のために十字架の上で死に、死からよみがえったことを信じます。十字架の上であなたがすべての呪いを受けて呪われた者となってくださったのは、私が呪いから贖われ、祝福の中へ入るためであることを信じます。主よ、私や私の先祖が犯したすべての罪を告白します。あなたの赦しを求めます。また、私は私を傷つけた人、不当な扱いをした人をすべて赦します。神が私を赦してくださるように、私もその人たちを赦します。また、私は自分自身を赦します。私は、どのような形であれ、オカルトとのつながりをすべて断ち、「オカルトにつながる物」を処分することを誓います。そして今、主よ、信仰によってあなたの赦しを受け、神の子としての権威をもって、私自身と、私の権威の下にある家族を、私の家族の人生のすべての呪いから解放します。今、イエスの御名によって、私は解放を宣言します。私はそれを主張し、信仰によって解放を受け取ります。イエスの御名によって祈ります。
では、主に感謝しましょう。それは何にも勝る信仰の表現です。「感謝します、主よ。感謝します。感謝します。」
さあ、良い告白をしましょう。あなたがこれを言う権利があると信じます。何を言うかお分かりですか。準備はいいですか。
「十字架のイエスの犠牲を通して、私たちは呪いから解放され、神がすべてのことにおいて祝福したアブラハムの祝福の中に入りました。」
もし、このメッセージを他の人と一緒に聞いているなら、隣の人にそのことを言ってください。
では少しの時間、主に感謝をささげましょう。それは信仰の最も単純な表現方法です。主イエスさま、 感謝します。
忘れないでください。あなたは方向転換をしました。今から、新しい方向に進み続けてください。神の祝福がありますように。アーメン。

学習教材
個人的な使用、メッセージの準備、聖書の学びのディスカッションのために。
コード: MV-4286-100-JPN











