なぜイスラエル?

デレク・プリンス
Published: 1998
Last Updated: 2026年7月
Read Time: 47
イスラエルはあなたの心の中で特別な場所を占めているのに、聖書におけるその意味が分かりにくいと感じていませんか?デレク・プリンス著『なぜイスラエルなのか?』で、旧約聖書と新約聖書の詳細な解釈をじっくりと読んでみてください。聖書におけるイスラエルの存在の真髄を発見し、あなたの理解が深まります。
Transcript
詩篇 124 篇を読みましょう。
「もしも主が私たちの味方でなかったなら。」さあ、イスラエルは言え。 「もしも主が私たちの味方でなかったなら、人々が私たちに逆らって立ち上がったとき、そのとき、彼らは私たちを生きたままのみこんだであろう。彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき、そのとき、大水は私たちを押し流し、流れは私たちを越えて行ったであろう。そのとき、荒れ狂う水は私たちを越えて行ったであろう。」ほむべきかな。主。主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。私たちは仕掛けられたわなから鳥のように助け出された。わなは破られ、私たちは助け出された。私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。
アーメン。
イスラエルについて混乱している人もいるかもしれないので、一連の事実をお伝えしたいと思います。まず、イスラエルとは、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫の民族名です。のちに、彼らはユダヤ人と呼ばれるようになりました。ですから、今日のユダヤ人とイスラエル人は、ほぼ同義語と言えます。昔はそうではありませんでしたが。
旧約聖書には、イスラエル、あるいはイスラエル人という名称は、2500 回以上出てきます。もし、イングランドやスコットランド、ウェールズ、アイルランドなどの名前が何回も聖書に出てきたら、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドについて何かしら知っていない限り、聖書を十分に理解できません。イスラエルについても同じことが言えます。あなたがイスラエルについてある程度知らない限り、あなたは聖書を十分に理解することができません。あなたがイスラエルについて混乱しているとしたら、聖書についても混乱してしまいます。
イスラエルという名称は、新約聖書では 79 回出てきます。私のリストでは 77 回なのですが、ある人がコンピュータでスキャンしてみると、私が見逃していた2つを見つけました。しかし、それで結論が変わるわけではありませんし、イスラエルは決して教会を表しているものでもありません。もう一度言います。イスラエルという名は、新約聖書に 79 回出てきますが、教会を表すものは一つもありません。
ここで、イスラエル人とは唯一無二の民族であることを強調したいと思います。イスラエル人のような民族は他にはありません。私はユダヤ教徒ではないことを言っておきましょう。
まず、第一歴代誌 17: 21 でダビデによって言われているイスラエルの独自性を紹介したいと思います。ダビデは主に祈ってこう言っています。
「また、地上のどの国民があなたの民イスラエルのようでしょう。神ご自身が来られて、この民を贖い、これをご自身の民となさいました。あなたがエジプトから贖い出してくださったあなたの民の前から、国々を追い払うという大いなる恐るべきことを行って、名を得られるためでした。」
ダビデは、神が他の国々から民として贖い出そうとした民族は他にはないと言っています。これは疑う余地のない確かな事実です。そのような民族は他にはありません。
そして、出エジプト 19 章には、イスラエルがシナイ山の麓に集まっているとき、律法と十戒を与える前に、神が彼らに約束されていることがあります。神はモーセに、彼らにこれを告げよと言われました。 出エジプト 19:6 です。
「あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。」
そのような言葉を神が語った民族は他にはありません。そして、ローマ 9:4、5 で、パウロはイスラエル人とユダヤ人だけに当てはまる特徴をいくつか挙げています。その箇所で、イスラエルについて語っています。
「彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。父祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。」
救い主メシアであるイエス・キリストがこの世に来られたのは、ユダヤ民族を通して、イスラエル人を通してであったことも特別です。他の人々を通してではありません。
また、黙示録 5:5 に注目すべき言葉があります。息が止まりそうなほど興奮する言葉です。ヨハネが天国にいたときの場面です。巻物が示され、それには7つの封印がされています。そして、啓示を受けたヨハネは、その封印された巻物の中に何があるか知りたかったので、誰もその巻き物を取って開くことができなかったために、激しく泣きました。
「すると、長老のひとりが、私に言った。『泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出た獅子、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。』」
巻物の詳細についてはお話ししませんが、その称号だけは話しておきましょう。ユダ族の獅子とは誰ですか。イエスです。これはイエスの死と復活の何年も経ってからのことです。イエスは今もユダ族の獅子と呼ばれています。ユダヤ人という言葉は、ユダ族から来ています。
ユダヤ人とイエスの同一性は一時的なものではありませんでした。それはイエスの地上の生涯と奉仕のわずかな期間だけではありませんでした。それは永遠のものです。イエスは復活と昇天の後、何年も経っていても、天においてなお「ユダ族の獅子」と呼ばれています。イエスはユダヤ人であっただけではなく、今もユダヤ人なのです。それは私にとって息をのむようなことです。驚くべきことです。そこに獅子がおり、それがユダヤ人であることを忘れてはいけません。そしていつかその獅子は吠えます。ユダ族の獅子が吠えるとき、ユダヤ人の敵に災いを送ります。その時、私はどんなことがあってもイエスに敵対したくありません。
そして、ユダヤ人について最も重要なことが語られているのは、ヨハネ 4:22 です。イエスがサマリヤの女にこう語りかけました。
「あなたたちサマリア人は知らないものを礼拝していますが、私たちは礼拝するものを知っています。救いはユダヤ人から来るのです。」
「救いはユダヤ人から出る。」はっとさせられる言葉です。救いはどこから来るのですか。ユダヤ人からです。私は異邦人ですが、私がこれまで享受してきたすべての霊的相続、霊的祝福は、ユダヤ人という一つの民族のおかげです。ユダヤ人なしでは、族長も、預言者も、使徒も、聖書も、救い主も存在しません。この5つがなかったら、私たちはどれほど救いを受けることができるというのでしょうか。そのことを忘れてはいけません。私たちはそれに応じた行動をするべきです。イエス・キリストにあって祝福されている私たちはみな、すべての霊的祝福の負債をユダヤ民族という一つの民族に負っているのです。しかし、歴史の恐ろしい事実があります。何世紀もの間、おそらく 17 世紀もの間、基本的にキリスト教会は謙虚になってユダヤ人に負債を負っていることを認めてきませんでした。私たちに救いがもたらされることになったユダヤ人に敵対し、迫害し、あざけってきたのです。とんでもないことです。それがどれほどひどい状況かは言葉で言い表すことができません。私たちの救いは、すべてユダヤ人のおかげなのです。
私たちイギリス人は、イギリス人であることを誇る傾向があります。イギリス人の中には、もはや帝国はなくなったことを忘れている人もいるかもしれません。私は帝国主義者でした。本当です。私の知る限り、私の家族の男子全員が帝国を築いた人たちです。英国陸軍の将校としてインドに駐留していました。そして、私たちイギリス人は謙虚になる必要があります。ユダヤ人に、「ごめんなさい。私たちはあなた方に感謝してきませんでした。公然とは反ユダヤ主義ではなかったけれども、この国(イギリス)には反ユダヤ主義の流れがありました。この国の歴史の中で公然と反ユダヤ主義があった時期がありました。この国のヨーク、ブリストルなどの町でユダヤ民族に対する公然の暴力的迫害が行われ、多くの人が命を落としました」と謝罪する必要があります。私たちは謙虚にならなければなりません。悔い改める必要があるのです。歴史を見つめ直し、実際に何が起こったのかを知る必要があるのです。
ここでもう一つ、ユダヤ民族だけにしかなかった事実をお話ししましょう。彼らの歴史すべてはあらかじめ預言されていました。他の国には決してないことです。それは、アブラハム以降のユダヤ民族の歴史はすべて、聖書ですでに預言されていたのです。イスラエルに関する預言の成就のうち、全部で 16 の段階を紹介しましょう。
それぞれにみことばを引用することができますが、時間の関係上省略します。最初の3つはすべてアブラハムに与えられました。1エジプトで奴隷生活を送る預言です。2エジプトから富をもって解放される。奴隷であった彼らが一晩の間に、エジプトの富で裕福になったのです。驚くべき事実です。3彼らのカナンの地を所有することは、アブラハムに預言されていました。
では、申命記とその他の書物に進みましょう。4彼らは約束の地で偶像礼拝に戻ることが明確に預言され、まさにその通りになりました。5神はエルサレムに礼拝の中心を確立される。6イスラエルと呼ばれる北王国はアッシリヤに捕囚される。7ユダと呼ばれる南王国がバビロンに捕囚される。8ソロモンが建てた最初の神殿の破壊が詳細に預言された。9バビロンからのわずかな残りの者が帰還することが預言された。➉イエスの時代に建っていた第二神殿の破壊はイエスご自身が詳細に預言された。それは興味深いことです。今エルサレムに行くと、ユダヤ人ガイドは神殿周辺を案内し、一つの石を示して、こう言うでしょう。「すべての石は崩されると預言された石です。ほかの石の上に立って残されている石は一つもありません。」ユダヤ人ガイドは、クリスチャン説教者より、はるかに聖書を信じているのです。
では、11レビ記 26 章や他の多くの箇所で、不従順のゆえに、彼らが異邦人の国々の中に散らされると預言されていました。12彼らは異邦人の間で迫害と抑圧に耐える。それは確かに成就されました。13彼らはすべての国々から再び集められる。このことは私たちの目の前で成就しており、私たちがそれを目撃することが重要なのです。
ですから、預言の 13 個は成就しました。あと 3 つ成就していないことがあります。14戦いにおいて、すべての国がエルサレムに敵対して集結する。15メシアの超自然的な啓示がその端に与えられる。16メシアが栄光と力によって訪れ、地上に御国を確立する。
このように、16 の預言のうち 13 が成就しています。私の計算では、約 81%の割合です。残りの3つの預言が成就することを信じる私たちは、狂信者であるとは言えません。人々は私たちが奇妙なことを信じているかのように、変な目で見ます。しかし、私は説教者になる前、論理学の専門家でしたから、一冊の本が 13 の出来事を確実に正確に預言できるなら、その本が示す他の預言も、真剣に受け止めるべきだと考えることは論理的ではないでしょうか。
さて、現代政治学で最も論争の的である話題、つまり、誤ってパレスチナと呼ばれているイスラエルの地に対する神のご計画についてお話ししたいと思います。イスラエルをパレスチナと呼ぶことは聖書の真理にまったく反していることを指摘しておきます。パレスチナとは、ペリシテ人の地という意味です。その言葉は、ローマが征服し、第一神殿を破壊するまでまったく使われたことがありませんでした。そして、ユダヤ人にはもはや何の権利もないと主張するために、パレスチナという名を使ったのです。つまり、それは意図的に選ばれた反ユダヤ的な言葉だったのです。私がパレスチナの話を始めると、妻は髪の毛を逆立てて怒り始めます。彼女は「それをパレスチナと絶対に呼ばないで」と言うのです。しかし、パレスチナのことを語らなければならない時もあります。なぜなら、人々はあまりにも無知で、説明しないと何について言っているのかわからないからです。
とにかく、その地に対する神のご計画についてお話ししましょう。それはカナンの地と呼ばれましたが、新約聖書では何と呼ばれているかご存知ですか。「イスラエルの地」です。マタイの福音書の最初の 2 章で、2 度イスラエルの地と呼ばれています。それが、その地の聖書的な呼び名です。
さて、神がその地について何と言っているかを見てみましょう。創世記 17:7、8 で、神はアブラハムに現れ、契約を結ばれました。それは神からの一方的なものです。つまり、アブラハムはただ受けただけでした。神が心に決め、アブラハムにこのように言いました。
「わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、そしてあなたの後のあなたの子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしがあなたの神、あなたの後の子孫の神となるためである。わたしは、あなたが滞在している地、すなわちカナンの全土を、あなたとあなたの後のあなたの子孫に永遠の所有として与える。わたしは、彼らの神となる。」
あなたが聖書を信じるなら、イスラエルという言葉があるか無いかにかかわらず、その地が誰の所有かについての論争は起こりません。絶対的なことだからです。神はその地をイスラエルに永遠の所有として与えられたのです。
そして、詩篇 105 篇に驚くべき一節があります。これは聖書の中で最も注目すべき節だと思います。7 節から始めましょう。これは、土地に対する神の御計画についての記述で、私の知る限り、他のどの箇所よりも神の全面的な関与を表す言葉が多く使われています。詩篇 105:7-10。
「この方こそ、われらの神、主。そのさばきは全地にわたる。主は、ご自分の契約をとこしえに覚えておられる。お命じになったみことばは千代にも及ぶ。その契約はアブラハムと結んだもの、イサクへの誓い。主はヤコブのためにそれをおきてとして立て、イスラエルに対する永遠の契約とされた。」
これら4節で、神は聖書の他のどの箇所よりも多くの言葉を使って、ご自身の完全な献身を表しています。このような箇所は他には見つかりません。それらの言葉は、永遠の契約、お命じになった、みことば、誓い、おきて、契約です。興味深いのは、神が何に対してこのような絶対的な権威をもって無条件の契約をされたのかということです。私は脚注を見てそれを知ったとき、私は息をのみました。
「そのとき主は仰せられた。『わたしはあなたがたの相続地としてあなたに、カナンの地を与える。』」
つまり、契約、お命じになった、みことば、近い、おきて、永遠の契約という言葉はすべて、神がカナンの全地を与えたことに適用されます。これに異議を唱える人は、神に敵対することになると思います。
そして、エレミヤ 30 章で、終わりの日に彼らの相続地へのユダヤ民族の帰還を預言している無数の聖句のうちの一つがあります。エレミヤ 30:3 からです。
「見よ。その日が来る。──主の御告げ──その日、わたしは、わたしの民イスラエルとユダの繁栄を元どおりにすると、主は言う。わたしは彼らをその先祖たちに与えた地に帰らせる。彼らはそれを所有する。」
ある程度聖書の知識がある人なら、神がアブラハムとその子孫に与えた地はどのようなものかを知っていると思います。カナンの地、イスラエルの地、そして今日私たちが聖地と呼ぶ地です。神は言われます。「時が来れば、私はイスラエルとユダの子孫を捕らわれの身からその先祖たちに与えた地に帰らせる。」
そして、神は警告を与えます。ずいぶん前の話ですが、私の友人のイギリス人牧師がある人から、「あなたはユダヤ人の帰還が神のみわざだと思いますか」と聞かれました。その牧師はこう答えました。「もし、それが神のみわざなら、そこには平和があるはずだ。」彼は聖書を知らなかったのです。神がその地へのユダヤ人の帰還について言っていることばを見てみましょう。(エレミヤ 30:5 以降)
「まことに主はこう仰せられる。『おののきの声を、われわれは聞いた。恐怖があって平安はない。男が子を産めるか、さあ、尋ねてみよ。わたしが見るのに、なぜ、男がみな、産婦のように腰に手を当てているのか。なぜ、みなの顔が青く変わっているのか。』
これは、ものすごい恐れ、抑圧、妨害の描写です。
「ああ。その日は大いなる日、比べるものもない日だ。それはヤコブにも苦難の時だ。しかし彼はそれから救われる。」
つまり、ユダヤ人の帰還は、すぐに平和をもたらすものではありません。反対に、これまで経験したことがないような苦難のクライマックスの時代です。しかし、彼らはそこから救われることが約束されています。
そして、エレミヤ 30 章の最後の言葉を見ると、小さなまとめのようにこう書かれています。
「終わりの日に、あなたがたはそれを悟ろう。」
これは、終わりの日にユダヤ人が彼ら自身の地に戻ることに関する預言です。そして、その預言には、「平安はすぐには来ない」とあります。それどころか、対立は激しくなるでしょう。
さて、聖書の中で私にとって最も刺激的な箇所の一つ、エゼキエル 36 章を開きたいと思います。ここでは、ユダヤ人が自分たちの土地に帰還することについて段階的に簡潔に説明しています。エゼキエル 36:16 からです。
「次のような主のことばが私にあった。『人の子よ。イスラエルの家が、自分の土地に住んでいたとき、彼らはその行いとわざとによって、その地を汚した。その行いは、わたしにとっては、さわりのある女のように汚れていた。それでわたしは、彼らがその国に流した血のために、また偶像でこれを汚したことのために、わたしの憤りを彼らに注いだ。』」
つまり、民の罪と偶像がその地にまだある間は、神はさばきを与えたのです。そして、次の節に神の次の段階があります。
「わたしは彼らを諸国の民の間に散らし、彼らを国々に追い散らし、彼らの行いとわざとに応じて彼らをさばいた。」
次の裁きは土地から散らされることでした。そして神は言います。「彼らは他の国々に行ったとき、私を恥ずかしめました。」
「彼らは、その行く先の国々に行っても、わたしの聖なる名を汚した。人々は彼らについて、『この人々は主の民であるのに、主の国から出されたのだ』と言ったのだ。」
そこで主は言われました。「私は散らされていった人々のふるまいにより恥とされた。なぜなら、彼らは私の民であるように振る舞わなかったからだ。」次の節は、とても重要です。なぜなら、神の第一の目的を理解しない限り、神のイスラエルへの思いを理解することはできないからです。21 節です。
「わたしは、イスラエルの家がその行った諸国の民の間で汚したわたしの聖なる名を惜しんだ。」
神はユダヤ人のために散らしたのではありません。ご自身の御名のためです。もしあなたがそれを理解できないなら、このあとに続く歴史の出来事についていけないでしょう。神はご自身の御名の栄光のために介入されたのです。さて、神はこのように彼らを取り扱うと言いました。そして非常に興味深いことに、それはとてもシンプルです。ユダヤ人が自分たちの地と神に立ち返る様子が段階的に描かれています。あなたはこう言うかもしれません。「でも、神さま、どうしてそのようなことをしたのですか。彼らが悔い改めてからその地に戻らせるべきではないのですか。」神がそうしなかったことを神に聞いてみる必要があります。彼らはその地に戻り、それから悔い改めます。私は、多くのクリスチャンが、「ユダヤ人が悔い改め、イエスをメシアだと認めるなら、彼らの回復を信じることができますが」と言うのを聞きました。そのような人は、神と徹底的に議論しなければなりません。なぜなら、神は、異なる方法をとったからです。神は 22 節で言っています。
「それゆえ、イスラエルの家に言え。神である主はこう仰せられる。イスラエルの家よ。わたしが事を行うのは、あなたがたのためではなく、あなたがたが行った諸国の民の間であなたがたが汚した、わたしの聖なる名のためである。わたしは、諸国の民の間で汚され、あなたがたが彼らの間で汚したわたしの偉大な名の聖なることを示す。わたしが彼らの目の前であなたがたのうちにわたしの聖なることを示すとき、諸国の民は、わたしが主であることを知ろう。──神である主の御告げ──」
「私があなたがたのために行うことによって、私の名の栄光を取り戻す」と言っておられます。そして、神は、いくつかのシンプルなステップが私たちの時代に確かに成就されていると言っています。次のステップは 24 節です。
「わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。」
誰の地ですか。あなたがたの地だと言っています。彼らがそこにいてもいなくても、そこは神が永遠の契約によって彼らに与えた彼らの地です。しかし、彼らは追い散らされました。それでも神は言われます。「わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く」と。
私はエルサレムにあるへブライ大学に通っていました。30 人ぐらいのクラスに少なくとも 10 か国 からの学生がいました。そして現在、ユダヤ人は 100 か国以上に住んでいると推定されます。これは驚くべき奇跡です。私に言わせてみれば、それはおそらく出エジプトの奇跡以上のものです。
私の前の妻はデンマーク人でした。彼女はよくこう言っていました。「あなたがデンマーク人を国々の中に散らして 200 年後に戻ってきたら、どこにもデンマーク人を見つけることはできないでしょう。彼らはその国に同化してしまうでしょう。」しかし、ユダヤ人は何年間散らされていますか。2000 年です。信じられません。私は誇張しすぎでしょうか。彼らはなお民族として定義可能な一つの民族です。これは奇跡です。さらに、数多くの国々に数多くのユダヤ人がいること自体が神の奇跡的な介入なのです。
私は、第二次世界大戦の末期にイスラエルにいました。そして、ユダヤ人がどこから集められ、何が起こったかを証言するのを聞いたことがあります。私の目には、このシナリオは出エジプト以上の偉大な奇跡のように映りました。それは奇跡です。神でなければ、起こり得ないことです。そして神は言われます。「私がそれをする。」もう一度そこを読みたいと思います。エゼキエル 36:24-25。
「わたしはあなたがたを諸国の民の間から連れ出し、すべての国々から集め、あなたがたの地に連れて行く。わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ...」
彼らはまだ汚れたままであることに注目してください。そのことで神学的に動揺する人もいるでしょうが、私にはどうすることもできません。それが現実です。そのことは神に聞いてください。神は言われます。「私がその地に彼らを連れ戻ったその時、彼らを取り扱う。聖い水をあなた方の上に振りかけ、あなたはすべての汚れからきよめられる。」
ホセア書で、こう言っています。(ホセア 1:10)「彼らは、『あなたがたはわたしの民ではない』と言われた所で、『あなたがたは生ける神の子らだ』と言われるようになる。」つまり、神は彼らを回復させるために、彼らが散らされる前の場所に連れ戻さなければなりませんでした。それは、私にとって非常に論理的です。
そこで、主が最初になさることは、きよい水を降りかけることです。このきよい水とは、神のことばであると私は信じます。ユダヤの人々は、神のことばに浸されるのではなく、ただ降りかけられるだけです。ユダヤ人の歴史は、多くの点でカトリック教会の歴史に似ていることを知る必要があります。もちろん、違いも多くあります。しかし、基本的にカトリック教会では、司祭とは聖書を知っていなければなりませんでした。人々は自分で聖書を読みません。神父、司祭が語ることを信じるのです。そして、それはある程度ユダヤ人にも当てはまります。ラビは答えを知っている人でしたから、人々は自分で考える必要はありませんでした。ラビが教えたことをすればよかったのです。しかし今、彼らはきよい水を降りかけられ、神のことばが彼らのところに来ています。これはますます増えています。つまり、イエスをメシアだと信じるユダヤ人の会衆の数が驚くべき速さで増えているのです。
私が 1948 年にエルサレムにいたときには、一年に一人のユダヤ人信者に出会えれば、それだけで興奮したものです。今では、見回すたびに新しいユダヤ人信者がいます。エルサレムにヘブル語を話す教会がいくつあるか忘れてしまいましたが、18 ぐらいでしょうか。ヘブル語を話す 18 のユダヤ人の教会がエルサレムにある。それはこの数年間に起こったことです。神は彼らにきよい水、神のことばという聖い水を降りかけておられます。
次の節で神は言っています。
「あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。」
何世紀もの離散の間、ユダヤ人は神のさばきである石の心を持っていました。石の心では聖霊に応答できません。彼らは応答することができなかったのです。彼らは常に除外者でした。今、神は石の心を取り除き、肉の心を与えようとしておられます。そして最も興奮すべき変化は、彼らのイェシュア(イエス)への態度です。
1947 年か 1948 年だったと思います。一人のユダヤ人と話しているとき、私は彼に「私は、イエスがメシアだと信じています」と言いました。すると、彼は後ろを向いて地面につばを吐きました。それがイエスの名に対する彼の反応でした。エルサレムのヘブライ大学の宗教学の教授は数年前、このように言いました。「以前は、私の学生たちはみな、神学論争について知りたがっていました。今はみな、イエスのことを知りたがっています。」このようにとても重要な変化が起こっています。神はそれが来ると言われました。「私はあなたに新しい心、新しい霊をあなたに授け、あなたの肉から石の心を取り除き、肉の心を与える。」次の節を読みましょう。
「わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。」
そして神は言われました。「あなたに新しい霊を授けるだけではない。それは新しいいのち、私の霊をあなたに授ける。」私にとって、それは聖霊のバプテスマです。そして神は言われます。「今、あなたは私の命令を守ることができる。」聖霊がなければ神の命令を守ることができないことを知っている人は、いったい何人いるでしょうか
1932 年、イートン学校の学生だった時、私は堅信礼を受けました。堅信礼をご存知ですか。聖霊の力を受けるための儀式です。実は、私は受けたくなかったのです。周りの人々は私が堅信礼を受けるべきかどうかを、当時インドに赴任していた私の父に訴えました。父の返事は、「お前ぐらいの年の男の子はみな堅信礼を受けるから、お前もそうしなさい」でした。それで私は受けました。堅信礼を受ける前の私は罪人で、受けた後は堅信礼を受けた罪人でした。控えめには言っていません、その通りだったのです。それから約 10 年後、神は私を聖霊で満たし、私は初めて喜んで神に仕えることができるようになりました。ユダヤ人もそのようになるのです。神は言われます。「わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる。」
このセクションの最後の節、28 節です。
「あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住み、あなたがたはわたしの民となり、 わたしはあなたがたの神となる。」
これらすべては段階的に起こりますが、クライマックスは、「あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる」です。そして、神が彼らをその場所に導く様々な主要な段階をとても簡単に説明しています。あなたがどちらかといえばユダヤ系の人々に批判的であるとかは問題ではありません。実際、最もユダヤ系に批判的な人たちは、ユダヤ系の人たちです。しかし、忍耐することを忘れないでください。神は働いておられます。神は、彼らを取り扱う方法を何世紀も前にあらかじめ計画されました。神はそれを段階的にしておられ、私たちの目の前で成就されつつあります。少なくとも私にとっては興奮すべきことです。私がそうなら、ほとんどの方が興奮すると思います。私は以前、それほどでもありませんでしたが、今はそのことが起こるのを本当に興奮しているのです。
へブル語でこの箇所を読んでみると、エゼキエル 36:23-30 までの間で神は「私は~する」と 18 回言われています。お分かりですか。私たちは主権者である神と向き合っているのです。神は私たちの承認 を必要とはしないし、やみくもに何かをしようとしている神でもありません。神はすべてを綿密に計画 し、18 回も「私は~する。私は~する」と言っておられます。あなたは神の主権を信じますか。神の主 権に対する私の定義はこうです。神はご自分の望むことを、望む方法で、望む時になさるのであって、 誰の承認も必要としない、もちろん、私の承諾も必要としません。神が主権者なのですから。
さて、これらすべてのことは私たちに重要に関わってきます。イザヤ 11 章を開くと、神は、イスラエルの回復が他の国々に対してどのような意味を持つかを語っています。イザヤ 11:11、12 です。
「その日、主は再び御手を伸ばし、ご自分の民の残りを買い取られる。残っている者をアッシリヤ、エジプト、パテロス、クシュ、エラム、シヌアル、ハマテ、海の島々から買い取られる。」
イザヤは、二度目に「再び集められる」時があると預言しています。これは、聖書についての注目すべき事実です。なぜなら、その時点では、最初の「再び集められる」ことはまだ起こっていなかったからです。しかし、神はその先を見据えておられました。最初に集められたのは、バビロン捕囚のあとの部分的な結集でした。しかし、神は第二の再び集められる時が来る、それは、バビロンに散らされたユダヤ人のわずかな地域からだけでなく、全世界的なものだと言われます。「主は再び御手を伸ばし、ご自分の民の残りを買い取られる。」神が御手を動かすとき、必ずそれは成就します。主の道を妨げる人には災いが降りかかります、これは私には鮮明な描写です。それにはどのような意味があるのでしょうか。
「主は、国々のために旗を揚げ、イスラエルの散らされた者を取り集め、ユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる。」
注目すべきは、これは全世界的な再結集であることです。バビロンから集められた時は部分的で、ある地域に限られていました。しかし、これは世界規模です。そして、それは確かに成就されました。ユダヤ民族が 100 か国以上から集められました。ユダヤ民族が集められなかった地域は地上のどこにもありません。しかし、それは最初の離散と、最初に集められる前にすべて預言されていました。
そして、神がこう言われたことは私にとってとても鮮明になりました。「主は、国々のために旗を揚げ、イスラエルの散らされた者を取り集められる。」その国々とは、異邦の国々です。ですから、イスラエルが自分たちの地に再び集められることは、国々への神の旗印です。よく心に留めておきましょう。
では、旗とは何ですか。これは私の簡潔な定義です。旗は通常、横断幕のように、遠くからでも見えるようにし、たいてい簡単な言葉が書かれています。私はユダヤ民族が集められることをそのように理解しています。神の旗があらゆる国々に見えるように掲げられるのです。新聞を開くと、イスラエルに関するニュースが一週間まったくないことはありません。すべての国々が見るのです。ウェールズ州より小さな細長い土地に人口が 600 万人以下の国であることを考えると、驚くべきことです。そして、それは毎週、毎週ニュースになります。なぜでしょうか。神がすべての国々に見てほしい旗だからです。その旗が掲げられているのです。
その旗に書かれている言葉は何でしょうか。これは私の個人的な解釈ですが、神がその旗を通して言われることはこうです。「神はご自身の契約を守られる。」何年前でしたか。およそ 3800 年、神はアブラハムと契約を結ばれました。「私はこの地をあなたとあなたの子孫に与える。」ほとんどの人は忘れてしまっています。ほとんどのイスラエル人は忘れています。人々は、それは過去に埋もれたと思ったのです。忘れなかった人が一人だけいます。神です。神は言われました。「私は、私の契約を忘れない。」それが私たちクリスチャン全員にとって非常に重要です。神はご自身の契約を守られます。私たちの神との関係は、イエスの血潮によって結ばれたその契約に基づいているからです。神は契約を破る方ではありません。神は契約を結び、それを守られます。そして、それは良き知らせです。興奮すべきことです。
1947 年 11 月 29 日に、国連がその小さな細長い領土をイスラエルに与えることを分割する決議をしたとき、私はエルサレムにいました。そして、エルサレムの中心で、ユダヤ人の男女の若者たちが腕を組んで輪になり、シオン広場でほぼ一晩中民族ダンスを踊りました。彼らはなぜ、そんなに興奮していたのでしょうか。なぜなら、神がご自身の契約を守られていたからです。神は何と素晴らしいお方でしょう。
さて、これは国々に対する重要なメッセージです。実際、多くの点で、何よりもイギリスに対してです。なぜなら、イギリスはこれに関して全体的に責任ある立場にあったからです。ヨエル 3:1、2 を開きましょう。
「見よ。わたしがユダとエルサレムの繁栄を元どおりにする、その日、その時、わたしはすべての国民を集め、彼らをヨシャパテの谷に連れ下り、その所で、彼らがわたしの民、わたしのゆずりの地イスラエルにしたことで彼らをさばく。彼らはわたしの民を諸国の民の間に散らし、わたしの地を自分たちの間で分け取ったからだ。」
イスラエルの地である前に、それは神の土地です。神はそれをイスラエルに与えたのです。土地を分けた、つまり神の土地を分割したということです。ですから、神はそれを分割した国々をさばくのです。その筆頭がイギリスです。
第一次世界大戦の終わり、国際連盟はその聖地を管理するためにイギリスを任命しました。そして、彼らの具体的な任務は、ユダヤ人のための国家を作り出すことでした。それは 1919 年頃だったと思います。1922 年、内務大臣であったチャーチルのサイン一つで、現在のヨルダンに当たる「トランスヨルダン」と呼ばれたアラブ国家が創設され、イスラエルに割り当てられた総面積の約 75%を彼らに割り当てたのです。そして、そのヨルダンの地にはユダヤ人が住むことは許されませんでした。ところが、イスラエルに割り当てられた地にはアラブ人はまったく自由に住むことができたのです。ですから、ユダヤ人には、自分たちに割り当てられるはずだった土地の 25%しか与えられなかったのです。
そして、第二次世界大戦後、国連が分割を議決し、さらに 2%をイスラエルに与えました。100%ではありません。12%だけでした。その責任は誰にあったでしょう。イギリスです。その後、ご存知のように、国連はイスラエルに彼らの国家を与えることを決議しました。私はその目撃者、証人の一人です。私は当時エルサレムに住んでいました。私はイギリス人です。私は英国軍の退役軍人だったので、ある程度確実な情報を得ることができました。イギリスは表立って国連に反対しませんでしたが、自分たちのやり方で進めました。イスラエル建国を挫折させるために、あからさまな紛争以外のあらゆることを行なったのです。
私は自分の目で見たことを話しているのです。そして彼らはユダヤ人が自分たちの国家を持つという考えをあざ笑いました。「このユダヤ人たちは農業について何も知らない。彼らが知っているのは、金もうけだけだ。」そんな風に言っていました。ユダヤ人にとって非常な危険な時期があり、妻と私はその真っただ中にいたのです。私たちはエルサレムでユダヤ人たちの中に住んでいました。その後どうなったでしょうか。これは非常に重要なことです。第一に、イスラエル国家が誕生しました。第二に、大英帝国は崩壊しました。なぜ崩壊したかというと、神のイスラエルへの目的に逆らったからです。神のイスラエルに対する目的に反するすべての国の政府には災いが降りかかるのです。
私たちは教訓を得たと思います。私たち英国人は一つの国民として、神の前にへりくだり、罪としてそれを告白する必要があると思います。「私たちは、あなたの目的に逆らいました。あなたの民をさげすみました」と。当時、ユダヤ人に対する反ユダヤ的なあざけりの言葉がありました。しかし、いかなる国も、いかに強力でも、いかに裕福でも、神の目的に敵対して繁栄することはできません。そして、同じようなことがアメリカでも起きているのを私は見ています。同じ種類の政治的言動が見られるのです。良いことを言いながら、同時にそれを奪っているのです。イスラエルの友人のように語り、親切で政治的に正しいことを言いますが、内心では何を心配しているでしょう。そう石油です。石油こそが関心事であり、超大国を動かしているのです。EUの原動力も石油です。イスラエルは石油産出国ではありません。ですから親切なことを言い、政治的に正しいことを言い、民主的な言葉を使いますが、同時に、自分の懐具合を心配しているのです。結局のところ、そんなものです。
さて、この状況について最後に一つ、非常に重要な事実を挙げると、すべての背後にある本当の問題は何かということです。国連の決議のおよそ半分はイスラエルに関することです。これ以上に馬鹿げたことはありません。そこには何か理由があるはずです。新聞やテレビを見るたびに、この小さな領土に住む 600 万人ほど地域がこれほどまでに話題になるのはなぜでしょうか。世界の中では猫の額ほどのものです。その抑圧、反対、紛争の理由は何でしょうか。あなたに伝えたいと思います。
マタイ 23 章の最後の言葉はとても悲しいものです。37-39 節です。これは、イエスのエルサレムへの別れのことばです。とても悲しく、悲劇的な別れです。
「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。」
「あなたがたの家」とは、宮のことです。彼らはそれを家と呼んでいたからです。そして、これはその通りになりました。一世代の間にそれは完全に荒廃してしまいました。そしてイエスは続けます。
「あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。」
ここでは、「あなたがた」と言っており、複数形です。エルサレムのことではありません。ユダヤ人のことです。「ユダヤ人が『祝福あれ。主の御名によって来られる方に』と言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません」です。これは標準的なヘブル語のあいさつです。
つまり、イエスは、「あなた方が私を迎える準備ができるまで、私は戻ってこない」と言われたのです。イエスは再臨される前に、ユダヤ人の心を整えます。ゼカリヤ 12 章を開くと、この絵の最後のピースが見つかります。ゼカリヤ 12:10 です。ゼカリヤ 12、13、14章はすべて、この時代の終わりにおけるイスラエルの地の状況を取り扱っています。主はこのように語っています。
「わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」
主は言われます。「彼らは、自分たちユダヤ人が突き刺した者、私を仰ぎ見る。」これは聖書の中で最も明確に、彼らが主を十字架につけるという記述です。
また、こうも言っています。「ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、初子を失って激しく泣くように、その者のために激しく泣く。」つまり、聖霊によって、イエスが誰であるのかについての啓示がご自身の民であるユダヤ民族に示されるのです。そして、イスラエルの歴史上経験したことのないほどの嘆きが起こるでしょう。彼らは初めて、「私たちは自分たちのメシアを十字架につけた。私たちは神を拒絶した」と気づくのです。そしてこう続きます。
「その日、エルサレムでの嘆きは、メギドの平地のハダデ・リモンのための嘆きのように大きいであろう。この地はあの氏族もこの氏族もひとり嘆く。ダビデの家の氏族はひとり嘆き...」
マタイの福音書とゼカリヤ書を合わせて読むと、主が再臨される前にある事柄が確立されなければならないことがわかります。ユダヤ民族はエルサレムとその地に再建されなければなりません。なぜなら、主イエスは、そうなるまでは再臨されないからです。そして、人々の心をご自分に向けるような超自然的なイエスの啓示がなければならないのです。
さて、この時代の神々であるサタンが最も恐れているものは何だと思いますか。サタンが最も動揺することは何でしょうか。私は、イエスの再臨だと思います。なぜなら、イエスが再臨するまで、彼は多くの戦いに敗れたとしても、決して敵意は失わないからです。サタンは多くのたましいを失うかもしれませんが、なおもこの時代の神であり続けるでしょう。それはイエスが実際に戻って来られるまで変わることはありません。では、サタンが最も反対していることは何ですか。イエスの再臨の道を備える状況が整えられることです。イエスの再臨の前に、ユダヤ民族がエルサレムを自分たちの町とし、その地を占領していなければなりません。つまり、これがすべての騒動の背後にあるものです。サタンは主を再臨させるシナリオを阻止するために、あらゆる手段を講じています。神はすべての国々を集め、イスラエルの地に対する神の思いにどのように応答したかに基づいて国々をさばかれるのです。すごいことであると同時に、恐ろしくもあります。
私は自分の国、イギリスが間違った側に立たないようにと祈ります。保証することはできませんが、そのために祈ります。イギリス人、そしてイギリス人クリスチャンが自分たちに都合のいい方法で、イスラエルを国家として再建する道を開いたことは悲劇的です。知らない人も多いと思いますが、19 世紀末に、彼らの土地へのユダヤ人の帰還のために祈り、世論をかき立て働いた小さいながらも非常に影響力のあるイギリスのクリスチャンのグループがありました。最初のシオニストはユダヤ人ではなく、イギリス人であり、その時代、神はイギリスを祝福してくださいました。実際、イギリスは偉大でした。今のイギリスが偉大だとはあまり言えないでしょう。しかし、イギリスにユダヤ人愛する女王がいたとき、熱心なクリスチャンである首相と、ユダヤ人の背景を持った首相がいた時代は勝利的なチームでした。神との関係が、成功するか否かを決定づけるのです。
妻と私は、エルサレムの教会で礼拝していました。この教会は 1840 年に建てられた中東で最初のプロテスタント教と言われています。そして、イギリス人のシオニストたちの努力と寄付、そして祈りによって生まれました。その目的は、ユダヤ民族が帰還した時のために証人となる場を用意することでした。彼らは聖書から、ユダヤ民族が戻って来ることを知っていたので、「私たちには証人が必要だ」と言いました。そして、この特別な教会は普通の教会のように建てられてはいません。私たちが知っている普通の教会にユダヤ人が入ると、気分を害します。しかし、この教会はキリスト教の教会でありながら、ユダヤ人たちが違和感なくくつろげるように設計されています。そして、教会設立当初の司教は元ラビでした。そして、ユダヤ人たちの間にリバイバルが起こりました。しかし、その後サタンが入り込み、ユダヤ人よりもアラブ人に関心を持つようになったのです。神はアラブ人を祝福されます。すべてのアラブ人は救われる必要のあるたましいです。しかし、ユダヤ人こそが歴史のカギなのです。
ですので、私たちイギリス人は、神との関係について真剣に考える必要があると思います。「私たち」と言えることがとても嬉しいです。「あなたたち」とは言わなくて済みますから、もしそう言ったらあなたが反発するかもしれません。しかし、私たちイギリス人は本当に神との関係について考えなければなりません。この会議を今夜、全能の神に私たちの罪を告白することで締めくくるのが適切だと思います。私たちは神の目的を妨げてきました。私たちは彼の民を軽視し、中傷し、イスラエルの土地に関して非常に非倫理的な行動をとってきました。今、私はこの告白をするべき人間ではないと感じています。
全能の神に私たちの罪を告白することによって、このメッセージを締めくくるのがふさわしいと思います。神の目的の道を私たちは妨げてきたかもしれません。神の民を過小評価したり、中傷したりしてきたかもしれません。
神に、またユダヤ人に、そしてイスラエルの国に対して罪を犯したことが主に示されたなら、正直に告白して神に謝罪し、赦していただきましょう。アーメン。
[別の男性が話している]
主の御前に立ち上がっていただけると良いと思います。祈りを始める前に、この部屋にいる人々がいると信じています...これはアピールや人々が前に出たり手を挙げたりすることとは関係ありません。それはその一部ではありません。しかし、この部屋には「置き換え神学」と呼ばれるものを心に吸収している人々がいます。それは、私たちが神のイスラエルであり、イスラエルには居場所がないと言うものです。私は、あなたがそれを正し、今夜私たちが聞いた神の言葉の真実を認める準備ができるまで、あなたの祈りには実際に意味がないと信じています。なぜなら、あなたは錯覚に陥っているからです。それはサタンからの強い錯覚だと思います。その人々にお願いしたいのですが、少しの間、立ち止まっていただけますか。私はあなたに声を出して祈るように頼むつもりはありませんし、私も祈りませんが、あなたがその罪を主の前で告白し、悔い改めを求めるようにお願いしたいと思います。あなたが悔い改めることができるように、神がそれをあなたから取り去ってくださるように求めてください。そうすれば、神の事柄を正しく祈り、行動し、理解することができるでしょう。
天の父よ、私たちあなたの民は、あなたの言葉を踏みにじるようにイスラエルを踏みにじってきました。主よ、私たち国としては、自分たちの利益のため、心の誇りのため、心の虚しい想像のためにあなたの言葉の真実を無視してきました。主よ、私たちはユダヤ人の苦しみに無関心でした。私たちは彼らの滅亡を求める者たちと手を結びました。私たちは声を上げるべきときに沈黙していました。天の父よ、私たちは不正に行動しました。私たちは自己義認に陥り、慈悲と恵みを無視し、父よ、私たちはまるであなたの裁きの刃の上に立っているかのように、国として立っています。父よ、この国におけるあなたの民の代表として、私たちあなたの教会があなたの民を無視し、あなたの約束を無視してきたことを告白します。主よ、私たちはユダヤ人の国への帰還や、力と栄光の中での主イエス・キリストの帰還よりも、自分たちの帝国を築くことにもっと関心を持っていました。父なる主よ、今夜あなたの許しを求めます。私たちの目的に対して不名誉なことを悔い改めます。父よ、私たちの心を強めてくださるようお願い申し上げます。主よ、あなたの民と共に立つために私たちの心を強めてください。私たちがこの国におけるあなたの民について語ることができるように、私たちの心を人の罠から解放してください。主よ、私たちに大胆さを与えてください。主よ、私たちの教会であなたの選ばれた民のために祈りを立て上げることができますように。主よ、私たちがあなたの心を聞き、この部屋にいるそれぞれの人がその過程で呼ばれていることに従うことができますように。天の父よ、あなたが高められ、主よ、あなたが挙げられますように。イエスの名によってお願い申し上げます。アーメン。

学習教材
個人的な使用、メッセージの準備、聖書の学びのディスカッションのために。
コード: MV-4414-100-JPN











