正しい関係の重要性

デレク・プリンス
Published: 2006
Last Updated: 2026年7月
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この手紙の中でデレクは、「正しい人間関係」の重要性について語っています。クリスチャンである私たちは「キリストのからだ」と呼ばれています。私たちの肉体には、関節や靭帯があり、体全体をつなぎ、働かせています。同じように、キリストのからだとしての私たちにとって、「正しい人間関係」は関節であり、「態度」は靭帯のようなものだとデレクは説明しています。信仰の仲間と正しい関係を持ち、愛と平和の態度を持つとき、キリストのからだは正しく機能するのです。さらにデレクは、家庭の中における「正しい関係」の重要性についても強調しています。
自然界であなたが調和を持たせようとするなら、2つのことが不可欠です。あなたには理由がなければならないこと、そして案内人がいなければなりません。霊的領域において調和を持とうとするときにも同じ2つの理由が必要です。その 2 つとは、神のみこころであり、案内人は聖霊です。
マタイ 18:19にこうあります。もし、あなたがたのうちふたり が、どんな事でも、地上で心を一つに(同意)して…」ギリシャ語で同意するという単語は、まさに調和という語です。 それは、単なる知的な同意ではなく、調和、一致です。二人以上の人がひとつの霊によって一致されていることです。 人々が、ひとつの霊によって調和し、聖霊の啓示として神のみこころに同意して集まる時、その人々の必要なものは すべて備えられます。これは確かな約束ですが、それには条件があります。
時に人々は「プリンス兄弟、さあ一致しよう。私たちは誰それのために祈るから。」と言います。私がそれに当惑して しまうことがあるのは、それが薄っぺらで見せかけのもので、何の結果も生み出さないと思うからです。一致、同意と は、単に「同意します。」というものではありません。同意とは、互いに霊において一致し、真に霊的一致のあるその所 に来るとき、私たちは抵抗できないものです。それゆえ、悪魔はその場所にクリスチャンが入らないようにと、全力で 阻止し、多くのクリスチャンであると公言する人々に対してかなりの成功を収めてきました。
これを言うことによってみなさんがショックを受けないと信じますが、キリストのからだである教会は現実の機関では ありません。一般的に、クリスチャンは一致するために互いに結びつくことができる何らかの組織を作らなければなら ないのだと感じてきました。しかし実際には、このことが神の意図するイエス・キリストのからだの一致を生み出すわけ ではありません。
旧約聖書のもとで、神はご自身の民であるイスラエルに大きな問題を抱えていました。神は、いかなる肖像や絵、 想像によって適切に表わすことができないお方としてご自身を示しました。神を表わす物を作ろうとすることは厳しく 禁じられていました。しかし、イスラエルが象徴や偶像を作り、これが神であるといった間違いを何度も犯したのを聖 書に見ることができます。
この命令において、現代のクリスチャンも似たような間違いをしていると私は思います。イエス・キリストのからだは機 関を表わすものとなることはできません。世の中にあるような組織として表わすこともできません。しかし、幾度となく、クリスチャンは霊的なものを目に見える具体的なものにしようとしています。彼らは、適切な一致やイエス・キリストのからだの関係に代わる組織、団体、一致を作り出そうとし、常に失敗しています。
救世軍(これは救世軍の批判でありません)を例に挙げてみましょう。救世軍の中では、軍に似た強い組織的統一があります。そして制服を着ているので、その人が救世軍の人かどうかが一瞬で判別できるようになっています。すべてのことは、統一と組織的構造を生み出すためになされるのですが、人が言い争うこともあるでしょう。ですから、真の一致と調和の状態には程遠く、実際には完全にその正反対であるかもしれません。二人の人が救世軍であるとして、一人は救われ、新生しており、もう一人は悔い改めに至っていないかもしれず、その二人は同じ霊的領域にさえいないこともあります。
私が育ったイギリスの聖公会を例に挙げましょう。あなたは聖公会の教会員であると同時に共産党、あるいはローマカトリックになることもできます。教会の中は組織的構造で結束されており、互いに正反対のまったく異なるアイデア、霊的生活において何ひとつ一致のない絶対的不協和があります。教会の構造は、内側の現実を隠すための覆いなのです。
内側を覆い隠すために私たちがその外面を受け入れることは非常に危険で、内側のものを放置することになります。その結果、今日キリストのからだなる多くのクリスチャンが誤った人間関係にあり、その誤りにさえ気づいていないのです。
ある夜の奉仕で、5人の人が癒しのために前へ進み出ました。私は一人ひとりに聞いていきました。「あなたの心の中で誰かを赦していない、あるいは憤りを持っているようなことがありますか。」5人のうち3人が「はい、あります。」と答えました。
私は、「あなたがたは本当に私に祈ってほしいのですね?私は祈るふりをすることもできますが、あなたは祈りにどのような影響があるかご存知ですか。」彼らは何と言ったと思いますか。「私たちはその人たちの所へ行って、正しい状態にしたあと、ここに戻ってきた方がいいと思います。」彼らは気づいたのです。それまでは、彼らは誤った人間関係に気づいていませんでした。彼らはなぜ欺かれていたのでしょうか。それは、内側の現実を見せないようにするために彼らは外面を装うことを許していたからです。
もし、私たちが今日のキリストのからだの内側の状態を見ようとするなら、ショックを受けるでしょう。
関節と筋
もし、外面の一致がキリストのからだの内側の霊的関係と無関係であるなら、ともにからだを保つものは何でしょうか。私たちの一致の真の性質と源は、何ですか。この重要な答えは、エペソ人への手紙とコロサイ人への手紙から見出せます。
エペソ4:16で、パウロはからだのかしらとしてのキリストについて語っています。「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」
類似した文脈で、コロサイ2:19でパウロはかしらなるキリストについて、「このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。」と言っています。
パウロは、キリストのからだの器官をつなぐ関節と筋という2つがあると言っています。ちょうど、実際のからだで関節と筋が器官をつなぎとめているように、それらは霊的なキリストのからだも結びつけます。関節と筋とは何でしょうか。非常に具体的に言うと、関節はからだの器官同士の関係であり、筋は器官同士の態度です。
人の腕には3本の骨があり、その一本一本は強く丈夫ですが、それらが効果的に機能することは、関節である肘にかかっているのです。一つひとつの骨が完全に健康的であっても、関節がきちんと機能しないなら、腕はほとんど役に立ちません。これは、キリストのからだにも当てはまります。あなたの個人的な安定性が求められるだけではありません。あなたの人間関係がからだの中に適した関節であり、その人間関係が適切でない限り、あなたはそのからだの中で効果的な一員となることができないのです。
また、エペソ人への手紙とコロサイ人への手紙の中でパウロは、からだ全体を結びつける素晴らしい筋について語っています。エペソ4:3で、「平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」と言っています。ギリシャ語では、結ぶと筋という単語は同じです。そして、コロサイ3:14で「…愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。」と、愛はからだ全体を保つものだと言っています。
キリストのからだを真の一致で結び続けるために何よりも不可欠なものは愛で、その次には平和です。私が言っている平和と愛の態度を私たちが選ぶことで、全体として一致を保ちます。しかし、この態度がない時、そのからだの機能は完全に損なわれます。仲間のクリスチャンたちと誤った関係にあるなら、そのからだは機能できず、私たちが必要としているものも受け取ることができません。人々を祝福から閉め出してしまうだけではなく、私たち自身も祝福から閉め出されてしまうのです。しかし、私の様々な状況下の経験からしても、キリスト教会の会衆の半数以上に誤った態度や人間関係があり、それらの誤った人間関係は、教会内の人たち同士であることが非常に多いのです。
ある時、神が素晴らしく働かれたペンテコステ派の教会でメッセージしたあと、別のペンテコステ派の教会に行って、同じメッセージをしました。しかし、その2つ目の教会では何も起こりませんでした。なぜなのかと思いました。私が発見したことは何だったと思いますか。その教会では、日曜日には400名ほどが集っていますが、真っ二つに分裂していたのです。私が立っていた右側の人々と左側の人々は、5年もの間会話がなかったのです。道ですれ違いそうになると、話すことを避けるために道路を渡って向こう側を通るということでした。結果、その教会で聖霊が働くことは不可能だったため、それらの人々に語ることは私にとって労力と時間の無駄だったのです。皮肉にも、そのような人々が自分たちの牧師を非難したり、別の伝道師を雇ったり、互いに正しくつながるという、自分たちのすべきこと以外のことばかりをしているような状況を数多く見てきました。
家族の関係
潜在的に、またしばしば経験上、最も危険で有害な関係は、私たちに最も近い人々であるというのが、人生の現実です。一つの最もよくある人間関係の問題は、若者とその親たちです。危険を冒して言いますが、アメリカの大多数の若者たちは自分の親に抵抗、反抗し、多くの場合、親たちは非難を受けるのも当然だと認めています。問題は、非行に走る若者たちではなく、大人の怠惰でもあるのです。
そうではあっても、私は常に若者に言います。「もし、あなたが親に対して憤りや憎しみ、反抗心を抱いているなら、最も苦しむのはあなたの親ではなく、あなた自身である。」と。憤りを抱かれている人よりも、憤りを抱いている人の方が苦しむのです。さらに、聖書は言っています。約束を伴った第一の戒めは、「あなたの父と母を敬え・・・そうしたら、あなたはしあわせになり・・・」(エペソ6:2-3)です。あなたは、父と母を敬わなければ、決して幸せにはなれません。それは神の律法に反しているからです。
この問題が最も多い別の領域は、夫婦関係です。いかに多くの夫たちが妻に憤りを覚え、どれほど多くの妻たちが夫に憤っているかは驚くべき多さです。
最初のみことばに戻りましょう。「もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして…」地上で心を一つにする最も明白な二人は誰でしょうか。夫と妻です。そして、どれほどの夫婦が心を一つにしているでしょうか。私はそれに答えたくありません。多くの女性は夫と心が一つになっていないため、女性たちは教会活動に忙しくしています。彼女たちは主に仕えたいからではなく、家庭の問題から逃れたいために教会へと急ぎます。
私は若い既婚の女性の解放のために祈っていました。彼女は素晴らしい解放を受け取ったあと、こう言いました。「プリンス先生、私は今、宣教師か、少なくとも教会学校の先生にでもなりたいです!」
私は彼女に言いました。「姉妹、お聞きください。最も重要なミニストリーはあなたの夫にとって最高の妻となり、あなたの子どもたちにとって最高の母となることです。他のすべてのことは、その次に来ます。それが正しい順序です。」
多くの女性たちが私のところへ来て、「プリンス先生、私は聖霊のバプテスマを受けましたが、夫はそのことを信じません。」私が通常答えることは、「夫がそれを信じるために、あなたは何か示したことがありますか。聖霊のバプテスマの結果としてより素晴らしい妻となりましたか。あなたの家庭は、以前より温かい場所となりましたか。あなたは、以前よりも夫を気にかけ、思いやりを示してきましたか。もし、そうでないなら、夫にバプテスマを信じるように求めないでください。どうせ、信じないでしょうから。」もし、バプテスマがなすことが、夫をほったらかしてミーティングに行くことであるなら、あなたが信じているものを信じることがない相手と残りの人生を送ることになるでしょう。
旧約聖書の最後のことばはのろいです。あなたは、そののろいの原因を知っていますか。それは、この最後のフレーズ、「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」(マラキ4:5-6)を説明しています。聖霊は、確かにこの時代の終わりの様子を予見していたのです。そして、聖霊は、今日のアメリカの第一の問題、つまり家族の関係を的確に指摘しています。反抗している子どもがいる家庭、妻と夫の心が一つとなっていない、自分の道を行き、子どもたちを顧みない崩壊した家庭があります。
主はこう考えられた。『わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。』」(創世記18:17-19)
主がアブラハムを選ばれたのは、彼が自分の子どもたちや家の者たちに主の道を守るようにと命ずる家族関係にあると信頼できたからです。
逆もまた真なりです。夫や父親が自分の家族への義務を果たすことに失敗している国は、一つとして偉大な力ある国であり続けることができません。それがアメリカです。家族の関係がこの国で変わらなければ、望みはありません。
災いの前兆です。私は、完全な福音のメッセージを持った、聖霊に満たされた人々がこの問題の答えを持っていると断言します。もし、私たちがその答えを持っていないのなら、世界は、どこに答えを探すことができるでしょうか。
人からは「素晴らしい家庭」と思われているけれども、実際には夫婦の間に調和がない家庭が数多くあることは、実に悲劇的です。私が何かを理解しているとしたら、聖霊に油注がれている人々は自分たちの時代のためのメッセージを持っているということです。私たちは、腕組みをして椅子にどっしりと腰掛け、「最悪の状況だ。どうすることもできない。」と言ってはなりません。私は、解決がイエス・キリストの教会の中にあり、教会は地の塩、世の光であると信じます。しかし、「もし塩が塩けをなくしたら(もし教会が状況を変えない、世界をきよめない、腐敗の力を抑制しないなら)、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。」(マタイ5:13)
これは、アメリカの教会が今向かっている方向です。しかし、それが起こってほしくありません。解決法は、悔い改め、神と正しく向き合い、あなたの家庭と正しく向き合うことです。あなたの家庭で役立たない解決法をこの世に提供しようと走り回らないでください。もし、あなたがみじめさや不一致しか得られなかったのなら、それを拡散しないでください。
教会は地の果てにフォーカスしすぎて、目の前で何が起こっているのかを見ることができません。私たちがすべき第一のことは、家庭の最も近しい人々と正しく向き合うことです。和解してください。あなたの苦々しさ、憤り、憎しみを捨ててください。そこから始めてください。

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